ひとりマーケティングのためのデータ分析

StoryPart

Chapter 1 > Section 3

このセクションで登場するツール

5月中旬 12:30
リサーチサービス社

綾子は自分の手さぐりの取り組みが、同僚として、友人として、そして人生の先輩として慕う晴花に理解してもらえたことを、何よりうれしく思った。


「本当に無駄なことなんて、めったにない」


そんな趣旨の励ましが、背中を押す風となる。ふたりは経理課でお昼を済ませた後、早速「ポイント」について話を詰めようとしていた。

綾子 …やっぱり私、何のためにポイントをつけるか、はっきりさせるべきですよね。
晴花 かな。ま、確かに、目的が定まればこそ、ってところも…あるんだろうしね。
綾子 …そうだなぁ…
綾子 私のお店のサービスは「みんなへのサポート」ですから…やっぱり、その人にとってよりいいサポートを提供できればいいな…なんて思ったりはします…です。
晴花 うんうん。なかなか、しっくりくるんじゃない?
晴花 ところで、綾っちの言う「みんな」っていうのは…ウチの会社だと主に「業務課」の人と「RS部」の人って考えていいのかな?
綾子 そうですね。
晴花 そっか。じゃ、すこし状況を整理しないとね。
晴花 私たちの経理課の仕事って、その人たちと今どんな感じになってるんだろう? 綾っちはどう思ってる?
綾子 そう…ですね。業務課の人たちは…私たちと同じ内勤なのでやりとりは頻繁ですけど、とりわけ伝票処理と請求関係の問い合わせがほとんどで、狭い範囲に集中しているっていうか、決まったやりとりがほとんどですよね。
綾子 そう考えると、反対にRSの人たちとのやりとりは一様には定まらないところがあるのかな? 見積とか、請求とか、入金とか…はもちろん、ときには変則的な請求みたいにマニュアル外で対応していかないといけないような依頼もあります…から。
晴花 そんな感じだよね、やっぱ。と、なると…綾っち商店がサービスを提供するとき、裁量を発揮できそうなのは「RSの人たち」へのサービスの方じゃないかしら。
綾子 裁量かぁ…今の私にはとても手の届かないことばですけど…そんなしごとをしたいと言ったのは私でしたね。
晴花 それに、ひと口にサービスと言っても、間接部門である業務課の人たちを対象にしたものと、直接部門であるRSの人たちを対象にしたものでは、性質はまったく別のモノになるんじゃないかな。
綾子 う~ん、言われてみれば…。やっぱり分けて考えるべきかな…。
綾子 …い、いや、ダメだ。
私が2つのプランを同時進行なんて…手に余るに決まってる。
晴花 そうなんだ? じゃ、とりあえず絞ってみたり?
綾子 …はい。その方がいいかもと。
晴花 なら…どっちに?
綾子 …それは…裁量が…目指せるほうが……言わせないでください。いじわる…
晴花 そうくると思った。
実は綾っちがそうすべき理由、他にも2つ、あったりして。
晴花 1つは、この前の社長の意思とがっつり重なるとこかな。
「会社を存在させることができる今日の糧が欲しい」なんてことを言ってたね。要するに目先の営業効率をとにもかくにもあげたいんだろーね。
晴花 ウチでその「営業」を直接担えるのは、もちろんRS部の人。RS部のリサーチタスクを管理したり、調査依頼を受注する窓口となる業務課の仕事はそりゃもう重要なんだろうけど…
晴花 でも、この状況の下で…業務課とRS部、どちらに支援の手を厚くするべきか、その道理を問われれば…周りが理解してくれるだろう答えは…きっと後者になるんじゃないかな、現実は。
晴花 それともう1つはね…この前公園で、RS1部の安堂さんに…
RS1部 安堂 (回想)「これからもどんどんサポートしてくれないと、ヨメさん泣かすことになるのでよろしく」
晴花 …なんて あ・や・っ・ち が頼まれたわけだしー。
綾子 ふふふ。そうでした…
綾子 …じゃないですよー! 晴花さんもじゃないですかー!
晴花 え? そうだったっけ…? とにかく、
綾っちがみんなの人生を左右する…と言っても過言じゃないYO!
綾子 …勝手に話を大きくしないでくださいYO!

綾子は身体ごと椅子を回し、ディスプレイに対向した。

そしてスプレッドシートを起動させ、晴花に対し画面を見るよう促した。

綾子 えーと、この前みたいに笑わないでくださいよ。
晴花 へへ。前、見たのだ。…具体的には、なに記録してるのかなー?
綾子 えーと、4月の途中からつけ始めたんですけど、いろいろ悩んで[サービスを提供した日]と、[その相手]と、[サービスの内容]を…
あれですよ! その… いつ ・ 誰が ・ 何を っていう3つの要素です! 具体的にはですね…えーと…
綾子 「日付」・「社員コード」・「サービスコード」として記録することで今は落ち着きました。詰め込みすぎてもごちゃごちゃして自分の仕事に負担が増えるかなって。
[Excelワークシート]列見出しの「日付」「社員コード」「サービスコード」はそれぞれ順に「いつ」「誰が」「何を」をアクションごとに記録している。そして1行につき1ポイントとするルールを決めている。
綾子 そうすれば、この1行1行を…1ポイントとして考えることができるなーって思っているわけでして…。
晴花 なーる。いずれはこのデータを活用することを考えるとさ…
やっぱり、今のようにこうして行方向にデータをべた打ちしていく方式って、むしろ好都合じゃない?
晴花 …はて…この「社員コード」の列、サービスを提供した相手のことだったね。「日南晴花」とかの文字でなく社員番号で入力するんだ?
綾子 あ、ええ、漢字入力よりはかどるかなって思って…。
晴花 ふむふむ。じゃぁ「サービスコード」の列は何を提供したかってことだったよね。これもコード化してあるけど、内容は具体的に…どんなものなの?
綾子 今はまだ曖昧かもしれませんけど、一応このように区別してます。
「サービスコード」の詳細図。4つのマトリクスに仕事を割り振ってある。依頼されるかつ定型タイプの仕事は、売上債権管理・入金処理・問い合わせ・その他の庶務。依頼するかつ定型タイプの仕事は、連絡・催促・相談。また、非定型の仕事としては、to型特殊とfrom型特殊という区別をしている。
綾子 大まかにいえばマニュアル化されているか、これからマニュアル化ができそうなものを「定型」、マニュアル化されていなくて、臨機応変にその都度対応していかなければいけないものを「非定型」としています。
綾子 感覚的にですけど、今のところ私が仕事の中で100回の手続きをするとして「非定型」は2, 3度あるかないか程度のもの、かな。
綾子 さらに「私に依頼が来るかたちの仕事」と、「私が依頼をするかたちの仕事」に分けて考えることもできるから…
綾子 この2つの基準から4つの分類をつくり、今やっている仕事をあてはめていきました。シートにある「サービスコード」は、ここにあげた仕事に番号を割り振ったものです。
晴花 うひょー! すごいね綾っち。想像以上に練られてる印象。
綾子 えええー!? ホ、本当ですか?
綾子 晴花さんにそう言ってもらえると思ってなかった…
うれしいけど何だか少しはずかしいです。
綾子 でもですよ…! 晴花さんも知っての通り、私、パソコンが苦手ですから…こっからのハードルが高いわけでして…。
晴花 (綾っちは苦手というか…ケーブル引っ掛けてデータ飛ばしたトラウマだよな…)
晴花 まぁ、それでもいいじゃん。そうやって記録することに当面の意義がありそうだし。
綾子 晴花さん、ありがとう。じゃあ、さっきのお話の通り…「綾っち商店」ポイントシステムの方針も定まったことですし…今まで、業務課の人とのやりとりも記録していましたけど、これからはRSの人たちとのかかわりだけに絞って記録していきますYO。
6月上旬 12:40
リサーチサービス社

会社の成績はあいかわらずだ。

にもかかわらず、綾子と晴花ふたりだけの経理課は、相も変わらずオーバーロードな傾向にある。稼働人員が、もとより足りない。こと月末月初の仕事量は凄惨だ。

―――そんなことからここしばらくは困憊したが、月も開けてしばらくたったこの日、ふたりはなんとか落ち着きを取り戻していた。


抜けきらない疲労の余波が、お昼休みの晴花をドッと襲う。晴花はお昼をとったあと、視界を蝕む睡魔に耐えきれなくなった。

そして机に突っ伏したまま、微動だにしなくなった。

綾子 (…私も寝たい。でも留守番が要るし…タイミング逃しちゃったな…)
晴花 (ガバっ!)そこだ! 突っ込め~ 突き崩せ~!!
綾子 ひっ。

不意に晴花がそう叫んだかと思うと、次の瞬間にはまたすーぴーすーぴーと寝息をかいて突っ伏している。

綾子 (…寝言か。それも意味不明な)
6月上旬 14:00
リサーチサービス社

それから一時間後。晴花の眼前で、昼寝の機会を逃した綾子が、心地いい陽気にさそわれ頭を前後に揺らしていた。そんな綾子の様子を見ながら、いまだ天日に干したふかふかの布団にもぐり込みたい衝動を消化できない晴花があった。


そのとき、階上から靴音が降りてくる。


その音の主が誰であるのか、綾子たちはよく知っている。


“総務部長” だ。


綾子たちの直接の上司である彼は、毎日ほぼ決まったサイクルを信念のように繰り返す人間だ。こうして経理課にやって来るタイミングさえ、そのサイクルにコントロールされているように見える。


この男の任は、いわずもがな総務部―――すなわち経理課およびの業務課のマネジメントにある。そんな彼に対し「経理課にやって来る」という表現を用いるのはおかしな話かもしれない。いや、役職の名に違って、実際には経理課との関わりが薄いから、そうした表現の方がはまるのだ。


彼は、自分のデスクを二つもっている稀有な人物だ。むろんその職責からで、ひとつは業務課の、いまひとつは経理課のそれである。もっとも、経理課のものは不定日出社の初江らとの兼用物ではあるが。

彼がいずれの方を好んでいるかを問えば、明確に二階の業務課のデスクの方であろう。
時間にして八割がた、そちらの方を温めているさまは、その証左として十分だ。

人間、自分の専門には首を突っ込みたがるものだが、そうでなければ積極的に交わることは難しい。元RS部員のこの男が経理課にいる時間が少ないのも、そうした理由があるのかもしれない。また、初江の息のかかる経理課で、彼女とのパワーバランスを慮るところもあるのだろう。


―――とまれ、総務部長が経理課のドアを開けて入ってきた。

総務部長 [総務部長]今日も特に変わったこと…なかったね?
綾子 はい。

経理課で何かを尋ねる時、総務部長はその相手として ほとんどは綾子を選ぶ。入社の先後を慮ってのことだ。管理職として、それが綾子をくさらせないための手段だと信じているところがある。

総務部長 それから、ひとつ仕事を頼むよ。

そう言って、総務部長は手の甲を綾子らに向け、親指を立てる。それを上下に小刻みに揺らすそぶりを見せると、ふたりはそれが「社長の指示を意味しているらしい」―――――ことを看取した。

綾子 何…ですか。
総務部長 偏差値…が欲しい。
綾子 偏差値…ですか? 高校のとき、思えばそんなのよく聞きましたね。
総務部長 5月の売上実績のそれが要るとおっしゃる。企業調査のセクションで。
総務部長 RS部にそれを掲示する、ということで。…なわけだから、RS部の24人で計算したもの、これを上手にまとめておいてくれんかな。
綾子 えええー、私にできるでしょうか…。
総務部長 仕事だ。できるできないじゃなく、なんとか頼むよ。ワタシはこれから業務会議の準備の方にかからにゃならんもので。
総務部長 おおお! そうだ! 日南クンと協力してやったらいい。二人でやればなんとかなるでしょ。
晴花 は…はぁ。
総務部長 それじゃ、できるだけ早めに! …だから!

ふたりに必要なことだけ告げ終わると、総務部長はそそくさと二階へと戻っていった。

綾子 晴花さん…今部長が言ってたの、やり方って分かりますか?
晴花 うーん… 少しは…ね。
綾子 うぉぉお! ツイてる~。
ネットで調べても、はたして私が理解するまでいけたかどうか。
晴花 でもねぇ…いいのかな、こんなの…
綾子 ん?
晴花 まぁ、どうしようもないか…。
あの様子じゃ急ぎで欲しいもののようだし…この状況下、部長に下手に睨まれても困るよな…
晴花 仕方ない。…じゃ、今から片付けちゃう?
綾子 そうですね。ぜひ助けちゃってくださいYO。
晴花 それじゃ、綾っちはまず…月末処理のときのように5月の集計を出そっか。
綾子 企業調査の売上を、部員別で出せばいいんですよね。
晴花 そだね。
綾子 …カタカタ…タタタ…。
綾子 …よし、と。晴花さん、出しましたよー。
[Excelワークシート]リサーチサービス社 5月の企業調査部別個人別売上実績
晴花 うにゃ。じゃ、進めてみよっか。でもさ、その前に少しだけ寄り道して「ヒストグラム」を作ってみようよ。そうすれば…誰だか「偏差値を出せー」と言う言葉の裏も、見えてくるかもよ?
綾子 あの…ヒストグラ「フ」? それって、グラフの一種ですか?
晴花 ある意味ではそうね…でも字面が似てるけど「グラフ」じゃなくて「グラム」なんだな。
綾子 (かぁ)
晴花 さて、と。では ひとつひとつ手順を追っていこうよ。

ヒストグラムの作成手順をひらきます

晴花 …てなカンジだね。 綾っち、どう? できた?
綾子 はい。こんな感じに、ですね。
[Excelグラフ]ほぼ左右対称の山形をしたヒストグラム
晴花 このヒストグラムは、何を示しているんかな? …と言えば。
晴花 …ええと、売上を10万円ごとに区切った(階級)とき、それぞれのブロックに何人の該当者がいるのか…とか、そしてそれを全体から見たときに、どんなカンジでムラがあるのかなー…とか、そんなんだね。
綾子 確かに。…ひとくちに企業調査の売上と言っても…散らばりみたいなものを調べてみるのも おもしろいと言いますか…。
綾子 今まで集計していたとき、私…「誰々さんの金額がだいたいどの位で…」っていったカンジに、個人個人の成績にしか注意が向いてなかったので…なんだか新鮮かもです。
晴花 だね。ちなみに、5月の売上の平均はおよそ 54万円なんだけど…
…その点についてはなにか…感想…ある?
綾子 …えーと。平均値を含む階級と、その両隣の階級の人の数が…多いですね。
晴花 つまり、最も背の高い平均値の柱を真ん中に据えたとしたら その柱から離れるほどに柱の高さが縮んでいくな…みたいな…。たとえば、左右対称のきれいな山形を描くものに「正規分布」なんて呼ばれる散らばり方があるんだけど…この場合にも、それと近いものはありそうだね。むずかしいことを抜きにして…雰囲気として…見ればさ。
晴花 そこでさ、綾っち。これを次のグラフと比べてみてほしいのさ。
[Excelグラフ]左右対称の急な山形のヒストグラム
晴花 あくまで仮定の話だけど、前の月の結果が実は上のようだった…そう、仮定しよっか。
でも次が大事。人数や平均は今回とまったく同じものだったと仮定してね。
綾子 これは…うーん、集まり方というか…分布?の様子は、全然違いますよね。こっちのほうが平均近くにより密集してるというか…
晴花 じゃ、前のは?
綾子 それはもう…私が出した今月のグラフの方が…比較して見れば散らばってる気がするんですけど…。 色がついた階級が多いということは…そういうことですよね…? …っていうことはー…えーと…
綾子 平均が同じなのに!…データの散らばり具合みたいなものを調べたら、まるで特徴が違ってた…そんなケースがあるってことですよね!?
綾子 ひゃー。平均がいっしょだったら…いつもの私なら、きっと「今月も、みなさん前の月と同じくらいの売上だったんだ」で終わってますYO! 「先月と同じくらいがんばったんだなー」って。
晴花 でも、もしヒストグラムを2カ月続けて見ていた、としたら…
綾子 やっぱり「今月は何でこんなにバラついたんだろう」って思うんでしょうか。いえ…いくら私でも…そう、その理由に好奇心がわいてくるというか…。
晴花 見方をひとつ増やすと、次のアクションにつながる可能性が生まれるっていうのは、あるんだろうね…いや、私も何となくだけど。
晴花 とにかく分かるのは、これから毎月データをとってくと、集団…ここでいえばRS部の売上データには大なり小なりの「散らばり方の違い」が見られるかもってことよね。…もっとも売上ってさ、そもそもが個々人のレベルから会社全体、ひいては変動の激しい社会情勢に至るまでいろんな要因が複合的に影響してくるものだろうから当たり前っちゃあ当たり前なんだろうけど。
晴花 とまれ目で見てさ…その散らばりを直感的に確認できるところがヒストグラムの優れたところだと思うの。
晴花 そこで欲が出てきてさ…「この散らばり具合、数字であらわすことはできないかな?」ってなったなら…「分散」とか「標準偏差」とかいった指標を使えばいいんだ分散・標準偏差の計算 -BDAstyle)。「標準偏差」…なんかは綾っちも知ってるはずだよ。
綾子 え? 知りませんよぉ…
晴花 上でRSの人たちがよく叫んでるじゃん…。「SDがどうのこうのぉー!」って。…アレ。
綾子 あ! よくわからないけど…怨念のこもったような悲鳴…ですね。
晴花 …ということでさ。散らばりだって平均に負けず劣らずケッコー重要な情報だと思うの。だからさ…「平均だけだと、そもそも比較の材料としては足らなくなくない?」…なんて見方もあるかもしんない。
綾子 ん? じゃあ、私がRSの人だったと仮定して考えてみますね…
私の先月売上が40万(平均50万)、今月売上が50万(平均40万)だったとすると…
綾子 …まぁ確かに…先月は平均より10下だ、今月は平均より10上だ…くらいにしか表現のしようがないですね。その場その場で…っていうか。私は、「先月と比べて、こんなにもがんばったの!」感を表現したいんだけど、平均より10下だったのが、10上になった…なんていう表現では…その…確かに…ポイントを突いてくれる感は薄い…ですかね。
晴花 うん。同じ10万の差だとしても、時にその差がその時その集団の中でどれだけの価値をもつ差なのかは分からない…ってことだよね。平均より10万円高いところにいたとしても、たとえばそれが他の追随を許さないオンリーワンの差なのか、うち一定数が僅差でゴール間近まで群がったすえの…写真判定されちゃうような差なのかで、価値を同じには語れないし。
晴花 逆の場合も、またしかり。綾っちが「ポイントを突いてくれる感が薄い」と感じたのも、そんなところにあるかもね。
晴花 ってことで今から作る偏差値表は、この散らばりを考慮した上で、おのおののRS部員のポジションを50という数字を基準にして相対的に考えてみよう…っていうものなの。それを先月、今月、来月…といった具合に継続的に観察すれば…私はどうかと思うけど…RS部員の本質的な販売力を格付けするような感じに近くなるかもしれない、かな。
綾子 …あ!もしかして、
さっき晴花さんが「いいのかな」って言ってたのって…
晴花 今私がRS部員で、成績が上がらず苦しんでたとしたら…「そんなの本人が一番よく分かってるわ」ってカンジだよね。私だったら、平均の上か下かだけを単純に論じられる方がラク。ましてや偏差値まで持ち出されて発破の材料にされようもんなら、私はきっとすべてを投げ出したくなる。「そんな過去の情報こねくり回してる暇があったら未来につながる材料をくれ~」ってカンジ?
綾子 …でも社長はそうは考えてないですね…
晴花 …綾っちが2階にこの結果を貼り出しに行ったとき、「オレらをダシに社長の顔色見やがって…今に見てやがれ」………なんて怨まれるかもよぉおぉおぉ。
綾子 …ひぃぃ…
晴花 えへ。ごめんよ。冗談冗談。何はともあれ、どうにも社長の意向らしいわけだし…私たちでどうこうできる問題でもないけど、さすがに私たちが主導してこんなことしたようには…思われないでしょ。
晴花 でも…会社の状況が悪くなると、やれと言われたことをやるだけでもいろいろと難しくなっていく、そんな気がするのは確かね。そういった意味では、どうせなら綾っちのように攻めの姿勢でいた方が得かも、なんて考えさせられるところもあるよ。
綾子 いえ、今のは結構なダメージを…
晴花 まぁまぁ。じゃ、このまま本題の偏差値までちゃちゃーっと終わらせちゃいましょ。

偏差値の計算手順をひらきます

晴花 さて、綾っちの作った表は…。
綾子 はい。これです。
リサーチサービス社 5月の企業調査売上実績の偏差値表
晴花 さっきも言ったけど、これで、“平均” というモノサシに “散らばり” っていうモノサシが加わったわけだ…ね。その散らばり なんだけど…「標準偏差」のところを見ると…えーと…およそ 14.8 となってる。ややこしいけど…この値は偏差値を求める前の、元データのものなん。
綾子 14.8 のバラつきぐあい…ってことですよね。もしかして 14.8 “万円” 分のバラつきがあるってことですか?
晴花 うん。この売上が正規分布にしたがうと仮定したとして…平均を挟んで左右に、ね。こんな感じ↓。
ヒストグラムを使って標準偏差を説明
晴花 これからいつだってさ…平均が 53.4 万円・標準偏差が 14.8 万円になるんであれば、安堂さんや田中さんのポジションの良し悪しも評価しやすいと思うの。
綾子 …条件が同じなら…それは…平均との位置関係だけを見てれば私でも判断がつくわけですから…。
晴花 うん。でも残念…かどうかはわかんないけど…平均はいつだって 53.4万円になるわけじゃないし、標準偏差はいつだって 14.8万円になってくれるわけじゃないじゃん?
晴花 極端な話…次月はさ、平均 100万・標準偏差 80万といった荒れ模様になるかもしれない。…ありえない数字だけど。
晴花 つまり、だよ。何を言いたいかというと、“異なる分布をした集団どうしを比較するって難しいね” ってコトなん。先月と今月とで平均も標準偏差も違ってくるのが常。そんな中で時間を超えて安堂さんや田中さんのポジションが良くなったのか、悪くなったのか評価してみようっていうのは、意外とタイヘンなことだね。
綾子 ふんふん。
晴花 でもね…。さっき考えたようにさ…それは裏を返せば…同じ平均・標準偏差をもつ集団だったら “比較できる” ってことにつながる…
晴花 そんな状況を…綾っちがつくり出してやればいいんだ。
綾子 …つくり…出す…?
晴花 “分析” らしく、ね。
晴花 実は、さっき…偏差値表をつくっていったプロセスの中で「基準化」と呼ばれる処理をしたんだ。…これが、その「状況をつくり出す」。
晴花 一連の手続きを通じて、平均が0・標準偏差が1となるようにRS部の売上データを調整してるん。えと…具体的には、表にある「基準値」のコトだね。あ、余談かもしれないけど…この変換後の…平均0、標準偏差1となる正規分布のことは、特に「標準正規分布」って言うんだ。
晴花 さっきはね、基準値について… standardize関数を使って中身に触れることなく計算したけど…本当はね、基準値はこんな式で求めるの。
晴花 分子は平均との差(偏差)、分母は標準偏差。
ある人の売上についての平均との差額を、標準偏差で割るわけだから…平均との離れぐあいを、標準偏差を基準(モノサシ)にして(=1として)表現してることになるよね?
晴花 このことをさ…。偏差値表の一番下、3部の田中さんで 見てみよっか。
晴花 田中さんの基準値は -0.7 となってるよ。上の式のように、これは標準偏差を基準として考えたときの 平均との差についての表現だから… 標準偏差の0.7倍、平均からマイナス方向の位置にいますよ、ってことを意味してるんだね。具体的に見てみると…元データの標準偏差は14.8だから、14.8×0.7 でおよそ 10.4。これを平均の 53.4から引くと、確かに 43…つまり田中さんの売上金額が出てくるじゃん?
綾子 なるほど!
晴花 こうして基準化してしまえば、いつだって平均が0・標準偏差が1の分布の出来あがり。つまり、異なるタイミングであっても ポジションを “比較” することが苦ではなくなるね。
綾子 すごいですね…。
いつの間にかそんなに便利な世の中になってたとは…つゆ知らずなのは私だけ?
晴花 (その発想は確かになかった…)
綾子 うーん、こういう考え方は確かに便利かも…。部長?社長?のことばの裏が見えてきたかも…。
綾子 えーと…たとえば先月も今月もある人が同じ基準値だったとしたら、RS全体の中でのその人のポジションは変化がなかったと考えていい…というカンジになるわけですか。…平均や標準偏差の値に関係なく。
晴花 (コクリ)。そこまで分かればもう偏差値の説明もいらないね、きっと。
綾子 計算式を見ると、基準値に 10をかけて 50を加えただけだから…要するに 0を挟んで 0.xx とか -1.xx とかより、50を挟んで 55.x とか 40.x とかいう表現をした方が…テストの点数みたいで分かりやすいから…ですか?
晴花 あは。やるな綾っち。
晴花 その調子なら……こっちの図で…もう一回整理してみようよ。 これ、さっき出てきた標準正規分布…それを図示したものなんだ。
晴花 このね…横軸は基準値として見ておいてね。
晴花 となれば…どうだろう…綾っち。
それぞれの値を偏差値に直してみると、さ。
綾子 … 10倍して 50を加えますから…こう…ですね。
晴花 平均は…?
綾子 基準化してますから…ここです!
晴花 じゃ、標準偏差は…?
綾子 グラフの1マス分が相当します!
晴花 さすが。
晴花 でもさ。…おそらく私さ。今からヘンなこと聞くと思うけどさ。
綾子
晴花 この会社で…この偏差値ってものから逃れられる術ってないもんかな?
綾子 …え?
晴花 じゃ、言い方をかえるね。どうしたら、この線の上に並ばずにいられるだろう? 私だったら…そんなふうに計られるのはイヤ。
綾子 あ…そういうことですか。
となれば…えーと…
綾子
綾子 売上ゼロにしてしまえば問題ナッシングです!
晴花 ハズれすぎるよね。…いろんな意味で。
晴花 残念。 その場合でも… (0-平均)÷標準偏差 の式は成り立つね。分母がゼロ…標準偏差が0…つまりみんながまったくの横並びにでもならない限り、この式は計算できちゃうよ。
晴花 …結局。正規分布にしたがうような売上分布にあると仮定したときの(売上にバラツキの見られる)RS部の24人は、みんなこの横線上のいずれかの場所にポジショニングされる運命ってことになっちゃうよね。残念だけど。
晴花 …さらにヘンな言い方になっちゃうけれど…結局みんながこの線上にいる確率は100%。…この確率…っていうか割合は、山の線と横軸とにはさまれた領域の面積によってあらわすことができるの。
綾子 え…と…
晴花 「だからどうした」ってカンジだよね。
晴花 …そこでたとえばさ、綾っち。突然だけど…朝、出がけに天気予報見てきたりするよね?
綾子 …それはもちろん。傘、持ってったほうがいいか気になりますから。
晴花 そこでさ。「今日の天気は 晴れ・曇り・雨になる確率が100%です(ビシィッ)」って言われたら…
綾子 「あ、そうですか…。これから他所の番組見ることにします。今までありがとうございました」
綾子 ですね…。
晴花 そう…。それと同じで「偏差値によって格付けされる人の数は100%!」なんて…宇宙のように広大な条理をウチで語っても仕方ないもん。
晴花 こんなふうに…視点が広すぎると雲をつかむようなカンジになっちゃう。…とっかかりがないというか、さ。
晴花 でも、少し視点を狭めれば…こうして偏差値を出す際、確率の話を考えることも無意味ではないと思うの。
晴花 ほら…「降水確率○○%」という情報が役に立つように。…セットでオトク。
晴花 まずはこの区間。平均を挟んで左右に標準偏差1つ分のこの区間に該当するデータは 全データのうちの68.3%を占めるん。
晴花 そしてこの区間。平均を挟んで左右に標準偏差2つ分のこの区間に該当するデータは 全データのうちの95.4%を占めるの。
晴花 で、さいごはこの区間。平均を挟んで左右に標準偏差3つ分のこの区間に該当するデータは 全データのうちの99.7%。
晴花 正規分布のもつ そういった性質を頭の片隅に入れておくと、ね…なにかと便利なんだ。
たとえば、これ…
晴花 例として、偏差値 60以上のポジションっていうもののスゴさみたいなものを汲み取ってもらえるかも。えとね、誰かがこの図の紫の線上の地位を勝ち取らんとすること…これはいったい、どれだけたいへんなことと言えると思う?
綾子 全体は100%ですから…えと…偏差値40から60がおよそ 68%と晴花さん言ってましたよね…。だからえーと、えーと、100-68 で32%。…ん、何か違う…。
綾子 そうだ! 32%は山の両側の面積だ! 偏差値60以上の部分は右側だけだから… その半分で 16%! 全体のわずか 16%に入らないとダメということ…かぁ。名実ともにトップセールスマン…確かに困難っぷりまでが具体的に分かるです…。
晴花 じゃあ…今回のウチの偏差値表の結果から、真ん中のおよそ 68%と左右のおよそ 16%づつの割合を確認してみよっか。ウチの場合人数が少ないからホントはいい例ではないんだけど…それでも、近い数字はでるとは思うよ。
綾子 60以上の人は3人で…3÷24でおよそ 13%。40から60の人は17人で…17÷24だからおよそ 71%。40以下の人は4人で…4÷24となっておよそ 17%(※端数四捨五入のため合計100%ではありません)。確かに、晴花さんの数字と近いのが出てきます。
晴花 だね。
綾子 なるほど…。
でもでも。これでひとつギモンが…。たとえばですよ! その正規分布の割合の知識だけでは計算できない…たとえば偏差値45までの人の割合みたいなものを確認したいなーって思ったときとか、どうしたらいいんでしょう?
晴花 そんときは ひとつにエクセルの出番といこうじゃん? norm.s.dist(ver.2007: normsdist)という関数があるん。たとえば偏差値45ってさ…基準値でいうと -0.5だよね? だからさ、こう…して
[Excelワークシート]normsdist関数の説明
晴花 引数(ひきすう)に基準値を指定してやると、0.31って数字が出てくるね。…それでね。この関数…山の左端をスタートラインに据えてさ…指定した基準値までの面積を計算してくって特徴があるの。そこだけ気をつけてね。
晴花 そうした意味で、綾っちのたとえのような場合には、ピッタリな関数といえるのかも。…ってことでこたえは 31%だね。
晴花 でも…だよ…。
綾子
晴花 もし…「偏差値45から55までの人の割合は」なんて聞かれちゃったら…どう計算したらいいんだろう?
綾子 ほおぉ…なるなる…たしかにその関数の計算のパターンとは違いますね…
綾子 これは…差をとってやれば…いいのかな?
綾子 山の半分の面積は 0.5 だから…(さっき偏差値45までの人の割合を計算してあるので)45から50までが… 0.5-0.31=0.19。同じように50から55までは… 左右対称で…さっきと同じはずだから… 0.19×2=38% とすればいいんだ。なるほど、おもしろいですね。
なお確率計算についてはこちらでも:正規分布の確率とパーセント点の計算 with Excel -BDAstyle
晴花 RS部のやってるマーケティングリサーチや メーカーさんの商品検査とかってさ…全数調査が困難なものじゃん? 結局さ。そうした場合でもさ…正規分布の性質が分っていれば、母集団における特定の層の厚みなんかを推し量るようなときに役に立つこともあるよ…っていう話だね。
綾子 …う~む。イイことを教えてもらったような気がします。
綾子 …でも、私にもやっぱり考えるところが。偏差値は確かに便利だと思います。こうして見てると、活用しだいで私の仕事の幅もひろがりそうに思いますし。
綾子 でもそれは…ひとつ間違えると管理する側にしかメリットを生まないリクツになっちゃうかもしれません。…晴花さんの言うとおり、ウチの会社の、今、このタイミングでっていうと…悩んでるみなさんのやる気にプラスとなる活用の仕方を探るのは、そうそう単純じゃないような気がします…。
綾子 それでですけど、部長が求めてきたのって…確か “偏差値” だけでしたよね。
晴花 ん…? そうだね…?
綾子 なら、ちょっと待ってくださいね…。カタカタ…カチカチ…。
綾子 じゃじゃーん! …なら…こっちの表でもいいかなーって思いまして…。ボカせられるならボカしたいです! ってことで…偏差値以外の数字は表から削ってみました。
先に出した売上実績偏差値表から「金額」と「基準値」の2項目(列)を削除
晴花 項目をカットするってことは…そりゃー情報量は減るだろうけど…。場合によっては、かえって目立たせちゃうかもしれないぞぉ。どっちに転ぶかは…正直分からないかも。
晴花 じゃあついでだし…
今回、きっと社長が言わんとすること…それを社長の側に立って分かりやすく伝えるものをつくろーと思ったとしたら、綾っちならどうするところか、一度考えてみようよ。
綾子 それはたぶん…グラフにすると思います。
…自分が見て分かりやすいって思うから。
晴花 うんうん。じゃ、怖いもの見たさで…一回、グラフにしてみちゃう?
綾子 …。
晴花 えーと…こうして…ズラズラっと並べ替えて。で、グラフ化ポンっと!
晴花 よし、と。今プリントアウトしたよ…プリンタ見てみなよー。
[Excelグラフ]偏差値の降順に並べ替え、かつ50のラインを強調して個人別に偏差値をプロットした、相対差が明確になっているグラフ
綾子 これは………。
晴花 その先は言わなくても分かるさ。
じゃじゃん! では綾っち、ここで「人生のゲーム」の選択のお時間です。RS部の人たちと社長、どちら側につくことにしますか? あなたの選択を尊重します。制限時間は10秒。9…8…
綾子 ちょ……………っと晴花さん! 何言ってんですかまったくー。
綾子 もぉー! 私はそういうの興味ないですーっ! 私は「バランス」を大事にするジョシなんですから…でも今はちょっと…ちがいますか。
晴花 あぁぁぁ残念っ! 寺畠選手っ、痛恨のミスぅ~! 実は、この会社ではそれが最高難度のルートぉぉだぁぁぁぁああああ!
晴花 …っていうか私は誰よ? …じゃ、あいだを取って、一番最初に出したものを報告するとしよっか。
綾子 ホッ、よかった。 やっぱりバランスも大切ですよ~、バランスバランス(音符

綾子は売上実績にかんする偏差値表をつくり終えると、会議の終わる夕方を待って総務部長に持っていった。


総務部長はその一部をデスクに広げ、内容を一瞥する。その様子を、綾子はじっと見守っていた。

綾子の興味は、総務部長の顔色一点にある。彼が示す何らかの反応から、RS部の人間がそれを目にしたときと反対の反応をくみ取れるかと思ったからだ。

ひと通りの確認を終えると、総務部長は綾子にひとこと礼を言って、用紙を傍らのサブデスクへたたんで置いた。彼が満足そうな笑みを浮かべなかったのは、自分たちなりの「バランス」が一定の功を奏したかのように綾子には思われた。

加えて何より、「ついでに貼り出しといてくれ」と指示されることを覚悟してここに来た。それだけに、晴花から冗談半分におどされたような余計な非難のたぐいを買わずにすんだことに、胸をなでおろす思いであった。

―――そして、その日の夜。

ふたりが既に家路についた経理課に、スマートフォンを片手にした社長が降りてきた。


社長はこの時間、社外の初江から突然の連絡を受ける。

明朝、銀行とのやりとりでに急遽必要になった書類を初江の居宅まで持ち帰るよう、電話で催促を受けた社長は、その書類のありかに見当がつかず、初江の指示を受けて経理課まで足を運んだ。

社長 …っと待ってくれよ。女の子らは帰ったから、鍵を開けないと。
社長 (ガチャガチャ)………よし、と。で、どこだって? それは。
社長 日南くんのデスクの後ろの書類棚?
…何だよ、ここも鍵で封鎖してるのか。 母さんの慎重さはサスガだよ、まったく。
初江 「おや、皮肉のつもりかい。何とまぁ自覚のない社長だこと。営業にばかり傾注して、会社の足元を任せっきりの社長様じゃ、あたしが管理してなきゃ今頃とっくに銀行になんか相手にもされなくなってるというのに」
社長 あー悪かった、悪かったよ。で、鍵はどうすれば… オレは知らんぞ。
社長 …え? 日南くんが持ってる? デスクの引き出しに?
あされってことか? 無茶言わないでくれよ。…相手は女性じゃないか。下手うちゃ、あらぬ誤解を招いてしまう。
初江 「あの子にはいずれアンタの嫁になってもらうんだし、もうそろそろ昔のことはいいじゃないの。あたしはアンタに…あの子に興味をもってもらいたいんだけどねぇ。ふだんは目立たない子だけれど、この会社を預かる者の嫁としていい器量をもってると思うんだよ…」
社長 何寝言いってんだよ…まったく。嫁は自分で決めるもんだって何度も言ってるじゃないか……。
あーはいはい! うるさいって。わかったわかった、やりゃいいんだ、やりゃ。
社長 …たく、日南くんすまんな。変な気はないんだ…変な気は。
社長 ……ゴソゴソ……ゴソゴソ……ゴソ……………………
社長 …これか。
社長 見つけた ……………………………………………ん?

この日の昼、ふたりが偏差値表を作ったとき 怖いもの見たさから作ったグラフが

…社長の視界にとびこんだ。

社長 (これは、今日オレのところに上がってきた…RSの…調査売上の偏差値か。
これがあるなら…なぜ………こっちを上げない?)
社長 …………
社長 (…飄々とした仕事っぷりに隠れて政治をするのか…彼女は。意外なもんだな。母さんの言う「嫁」に、オレはケンカを売られた…わけか)
社長 (…いや、この会社のために私情を挟むときじゃないな。いい機会だし、彼女らにもオレのやり方に忠実であるよう刷り込ませねば)
社長 ……はいはい聞いてるって……わかったわかった、ちゃんと持ってそっちに寄るから(ピッ)。
…ったく誰が社長だか。お袋だけにはいつまでたっても敵わんな…。

社長は目的の書類を見つけると、鍵を引き出しに元あったように注意深くととのえ戻した。

そして引き出しを静かに閉じると、何事もなかったように上階へと戻っていった。

[挿絵]晴花に教わる綾子