ひとりマーケティングのためのデータ分析

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Chapter 2 > Section 5

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8月下旬 19:00
リサーチサービス社

後日―――。

田中 …ということで。日南さん、○○財務法務事務所のサポート…頼んじゃってもいいだろうか? …いや、もうアテにできないのも困る状態ではあるんだけど…。
晴花 あ…うん、そのつもり。いろいろとつたないし つっけんどんだろうけれど、そこは目をつぶってお願いしますと先方さんにお伝えしといてくださいな。
綾子 やりましたねー! 田中さんっ。
田中 …あ、ホント、こればっかりは…ふたりのオカゲ…。何て礼を言ったらいいか…。
田中 あらためてお礼を言うのも恥ずかしいから…今度ナーヴでパーっとやらせてもらうわ。アタシもちで。
綾子 え、いいんですかー。むふむふ。
晴花 綾っち気が早いよ! それは田中さんが目標を達成するときまで…とっておかないとね。
綾子 それも…そうですね。
田中 確かに…日南さんの言うとおりかもしれないけど、実はね…
田中 綾っちからもらったリストから掘り起こしてみて…何件かあたってみた先で見積もりが固そうな先をまだ若干握ってて…
綾子 この前見積書出した…トコロですよね? なかなか大きな額ですよ~。むふむふ。
田中 それから 他の商品のお客さんなんかも…綾っちに掘ってもらってるし…
晴花 そうなの!? もしかしたら今月に…早くも達成…が!?
田中 目標金額的には…まぁ、ね。…もちろん、石井くんがどんな状況かによるだろうけど。
綾子 あ、売上伝票とかを見る限り…今のところ石井さんに目立った動きはないようですよ。
晴花 うはぁ…なんだかうれしいね~。少しウルってきちゃったよ。
綾子 晴花さん、気が早いですよ! さっき私を諭した人はどこに行っちゃったのかなー。
晴花 イケネ…そりゃそうでした。
田中 ぷぷっ。

ゆっくりと経理課のドアを開ける音がする。

音の先には安堂の姿があった。

安堂 まいど。綾っち今日もあいかわらずのかわいさだね~。
綾子 もぅ! ひやかしはナシですよ。何かありましたか?
安堂 あ、そうそう。日南さん…ボールペン、黒・赤1つずつもらえないかな?
晴花 あ、はい。…出してきます。
安堂 よろしく。
安堂 …おっと、ナカ(=田中)ちゃーんじゃないですか。どうよ、最近。
田中 まぁ…アタシにしては順調ですよ。いろいろありますけど。
安堂 …らしいね。うらやまし。
田中 「らしい」って…それ、どういうことですか?
安堂 いえ、ね。オレ、たった今社長にカツをいれられたばっかしで…。ナカちゃんを引き合いに出されて、コテンパンにやられちまったわけよ…。
田中 アタシを?何で??
安堂 営業、営業。…ナカちゃん、今、調査ほとんど上がってないんだって? 社長から聞いたよ。3部長がたしなめても聞く耳を持ちやしないと…! でも、社長…平時なら褒められたもんじゃないが今はあの開き直りを少しは見習え、とさ。
田中 社長が?ホントに?
安堂 大胆なコトするよなぁ。ナカちゃんは…。
田中 アタシは後がないからですよ。10月以降はオマエイラネ!と言われているのに、体裁なんか気にしていられないですって。
安堂 後がないのはオレだって同じだってさ。そろそろマジメにレッドゾーンの空気をひしひし感じる…。
田中 安堂さんは芸があるからいいですよ。あの緻密なレポートはそうそう真似できませんから。それを証拠にアタシのように期限切られたわけじゃないでしょう?
安堂 そんなことは何の担保にもならないさ、このご時世。売ってナンボの空気の中じゃ…ナカちゃんら後輩にも抜かれたオレには、同じ部の仲間からも冷ややかな視線しか集まらない。
晴花 安堂さん、ボールペン…。
安堂 ん、ありがとう。…まぁ、ナカちゃん、たいへんだけどお互いがんばろうや。
田中 ですね。

安堂は、苦い笑みをうかべながら経理課をあとにした。

田中 …今の安堂さんの話、聞いた? …社長、アタシが調査のノルマ無視して…騙し騙しで片付けてること…気づいていながら見逃してくれそうなフンイキじゃん? どうやら綾っちの提案を聞き入れたコト…吉と出たみたい。
綾子 …よかったです。
田中 ならば社長の気が変わらないうちにタタミかけちゃわないといけないな、アタシも。じゃ、また石井くんの動向とか仕入れに来るから、そんときはよろしくー。
綾子 はい。

安堂につづいて、田中も経理課を出ていった。

晴花 綾っちのヨミ、どうやら上手くいったみたいね。
綾子 決断したのは田中さんですから。田中さんの勇気あってこそだと思います。
晴花 現場の人間じゃない私たちの意見…見下すことなく検討してくれた田中さんの懐の太さがあったからこそ、なし得た、か…。確かに、そういうところもあるね。
綾子 あとはこのまま…上手くいってくれることを祈るのみです。
晴花 だね。
晴花 …ところで。
晴花 安堂さん、最近どんな感じなん?
綾子 どんな感じ…って。
見た通り掴みどころのないポップな感じ…ですよ。ずっと。
私たちに気をつかって、ほら、このあいだもショートケーキ差し入れしてくれましたし、いい人じゃないですか。
晴花 そ…ういうことでなくて…ですね…
綾子 あ、成績のことですか?
晴花 (コクリ)
綾子 えーと待ってくださいよ…。今日までの集計だと、今月は…(ペラペラ)
綾子 16万とちょっと…ですね。
晴花 そっか。…きびしいね。
綾子 田中さんのように攻勢の糸口を見つけた、という感じではないですかね。やっぱりまだ…。
晴花 安堂さん、いっつもあんな感じというか…明るい自虐家みたいな人だから切迫感を感じさせないんだよね。
晴花 でも、田中さんと会話してるとき目が笑っていなかったでしょ。何だか気になってさ。
綾子 そう…ですか? でも、田中さんも言ってた通り、安堂さんには “質の高いレポート” って武器があるようですし…今すぐどうってことは…ないんじゃないですか?
晴花 だといいんだけど。
綾子 ま、私も日頃お世話になってる分、田中さんの時のようにできることをやってみてフォローしてみるつもりですから。
晴花 そっか。…安堂さん、きっとよろこぶよ。
8月下旬 13:20
リサーチサービス社

うだるような暑さのつづく、真夏の昼下がり。

綾子は、安堂の力になりたいとの思いで、田中に渡したのと同様のデシル表を作成していた。

晴花 どうした綾っち。眉間に50本くらいシワよせてさ。
綾子 ご、ごじゅ、ごじゅっぽん!?
綾子 そんな…。私、まだ彼氏さえいないのに…。その数、盛ってますよね、ね?
晴花 (…そういうつもりじゃ)
晴花 いや、ごめんよ。単なるモノのた・と・え。それくらい芳しくない事情があるように見えたから…。
綾子 ほっ
綾子 …なんて安心してる気分じゃなかったです。確かに。
晴花 と…言うと? 何、してたの。
綾子 田中さんと同じように、安堂さんにも何か力になれないかと思って…デシル分析表を作ってみたんですよ。
綾子 …こんな感じになりました。

綾子は、手にした資料を晴花の机の方へと這わせた。

晴花 …。
晴花 …綾っちは、これ、どう見たの?
綾子 私は…注目すべきところが…その…見つけられなくて…
何かないかとあさってみたんですけど…
晴花 …うーん。
田中さんの時と比較しても、安堂さんの場合は取引そのものが少ないから「かたより」の評価は難しいね。ぶっちゃけ、セグメント化に意味はないかな…これじゃあんまり。
綾子 …です。はたしてこの結果は、お客さんの行動のトクセー?みたいなものを表していると言えるのかと…。
綾子 やっぱり…この表からは 得るものがなかったような気がします。
綾子 でも、もしかしたら安堂さんならばこその洞察なんかが出てくるかもしれないし…。そんなトコに賭けて渡してみたい……なんて、ムシがよすぎですかね…?
晴花 …そればっかりは、私では…。安堂さんの受け取り方にもよるんじゃない?
綾子 やっぱり…。場合によってはこちらがツツイてるようにしかとられかねませんよね。もう、田中さんの時のようなギクシャクな関係は…勘弁です。
晴花 ねぇ綾っち…今、こんな気分? カンカン…
綾子 急須? 急須がどうかしましたか?
晴花 急須がこう…高いところからストーンって!
綾子 フリーフォール急須!
晴花 (ガクッ!)
晴花 バンジー急須でしょうが…。万事休す!
綾子 わかってますよ。晴花さんのギャグの感性は育ててはいけない方向ですから。…絶対。
晴花 渾身のひらめきだったんだけどな…。
綾子 そうだ! 今、私悩んでたんですから…空気読んでくださいよ。まったく…。
綾子 …でも本当に万事休すかも
晴花 …まぁまぁ、こんな時こそ冷静にいきましょ。八方ふさがりの時は立ち止まってもいいじゃない。
晴花 綾っち、虎の子の虎の巻見せてよ。
綾子 トラノコノトラノマキ…舌噛みそう…って、もしかして「マンガ・OLのためのビジネスデータ分析」のことですか?
晴花 いえーっす。
綾子 はい…どうぞ。
晴花 ありがと。
晴花 ペラペラ…ペラペラ…。
晴花 …これ、やってみたら?
綾子 ん?
綾子 エス・ダブリュ・オー・ティー…分析?
晴花 うん。スオット(SWOT)分析。
綾子 ふむふむ…。外部環境と内部環境を…分析する…。
綾子 ナンですかこれ!?
晴花 状況分析手法のひとつよ。目的がはっきりしてても何やっていいかわかんない時は、何より状況を整理してみることで見えてくることもあるんじゃないかなーと思って。
綾子 …へぇ、そうなんですか。で、晴花さん。もちろん、やり方教えてくれるんですよね。
晴花 何言ってるのさ。綾っちには、虎の子の虎の巻があるじゃないのよ。
綾子 …こ、これは。寺畠家に代々続く由緒ある家宝!汚(けが)しめてはワタクシメがはずかしめを受けてし…!!
晴花 BAaaaaa―――――KA。くらうがいい! わが名刀・教育的指導のYAIBAを!! ザシュぅ!
綾子 うっ…無念。
晴花 まだやるか…
晴花 汚れるも何も…だいいち既にケッコーなカンジで痛んでるじゃん。それだけ熱心に使ってるんだろうけど。
綾子 なーに言ってるんですか。それは…目の前においしそーなガトーショコラが置いてあるのに、わざわざ1から作って食べろと言ってるようなもんですよ。
晴花 そうキタか…。もう、仕方ないな。じゃ一緒にやってみよ。
綾子 いえっさー。
晴花 じゃ、これから大きく2つの段階に分けてやっていくよー。まず最初は、SWOTの洗い出し。
綾子 そのSWOTって何ですか?
晴花 焦らない焦らない。少しずつ見ていこうよ。
それじゃ…綾っち。まず、行列ともに2つずつ、つまり4つのセルができるような格子を紙に描いてみよっか。適当な大きさの。
綾子 はい。…カキカキ… こんなんでいいですか。
SWOT分析表・手順1
晴花 うん。次は右の余白に、上の行から「内部環境」「外部環境」と書いておこうか。
綾子 はい。
SWOT分析表・手順2
晴花 次はまず「内部環境」行の列に…左から順に「S」「W」と、同じように「外部環境」行の列にも左から順に「O」「T」と書いていくよー。
綾子 がってん。
SWOT分析表・手順3
晴花 で、綾っちのさっきの質問。「SWOT」っていうのは、こういう↓ことなの。
SWOT分析表・手順4
綾子 ストレングス(Strength), ウイークネス(Weakness), オポチュニティ(Opportunity), スリート(Threat)…ですか。
晴花 そうね。つまりこういう↓ことを意味しているよ。
SWOT分析表・手順5
綾子 へぇー。…でもちょっと待ってください?
綾子 この「内部環境」と「外部環境」って何なんですか?
晴花 上の人たちがやるSWOT分析だと、具体的網羅的に定義されるべき項目のようね。たとえば、会社の “外部” の環境には技術的・政治的・経済的・法律的さらには文化的な要素までもが考慮されることになってくる…とか。
晴花 私たちは会社全体のことを分析しようとしているわけではないんだし、この作業は過剰よね。だから分析対象にとって “コントロール可能かどうか” で判断すればいいと思うな。コントロール可能な要素が「内部環境」、コントロール不可能な要素が「外部環境」…ってカンジにさ。
綾子 晴花さんに彼氏がいないのは「内部環境」要因、私に彼氏がいないのは「外部環境」要因…といったところですか? まあ、ネタミなんですけどね…はい。
晴花 …すっげー反応に困るんですけど。
綾子 でも、“コントロール可能かどうか” の基準をとりあげたことで…同じ状態であっても場合によっては判断が外部と内部に分かれること…実証できたじゃないですか…。
晴花 …むむむ。やるな綾子。
晴花 …まぁいいや。そういったコトもふまえ、安堂さんになりきってこの図にSWOTを書き連ねていこうよ。
綾子 ふんふん。
晴花 …じゃ、いくよー。まず「S」からいこうか※。これは内部環境…つまり安堂さん自身の特性的な部分のお話…だね。
注※ (外部環境分析からおこなうことをベターとする考え方もあります。たとえばマーケティング研究者のKotlerはTOWSに重きを置いています。)
綾子 S…強み、かぁ。「やさしさ」じゃないですかね…。ほら、差し入れとかさ…。それに家庭思いのいいパパじゃないですか。
晴花
綾子 何です…それ?
晴花 …イエローカード。いいの…忘れて。せっかく小道具用意したのに…
晴花 その辺は…やめよっか。性格とか…。その辺を含めるとついつい批判っぽいトークに聞こえかねないし、少なくとも私は…その辺をあげつらえるほどの立派な人間ではないから。
晴花 それに…その辺を許すと「風が吹けば桶屋が儲かる」的に収拾がつかなくなっちゃう。だからもっと直接的に行こっ。
晴花 同じ理屈で将来の希望的観測もダメねー。あくまで現在の情勢に基づいたことだけで判断しましょ。
綾子 ふぉー…むずかしいですね…。どんなふうに考えればいいのかなぁ。
晴花 たとえばSとWを考えるとき…さっきも話したような会社のうえの人たちがやる場合には、リソース(資源)っていったものに注目することが多いんだって。ほら、よく聞くじゃない…「ヒト・モノ・カネ・情報」っていう、アレさ。
綾子 はいはいはい。聞いたことありますー!
晴花 それをさ、ライバル会社とか、市場全体とかとの比較をつうじて出来るかぎり客観的に評価していくの。
綾子 じゃあ、今私たちのように安堂さん個人の対策を考えてるような場合には…直接的なリソースというと…うーん…やっぱりRSのお仕事に関する技能(スキル)的なコトに注目したら、やりやすそうですよね?
晴花 …かもね。あと、加えるならば、他に相対的に評価できる指標とか。その方向でSとW、今からふたり別々に3分で考えて見せ合いっこしようか。
綾子 わっかりましたー。

3分後―――。

晴花 じゃ、いくよ…。いっせーのーせ!
綾子 ハイ!
SWOT分析表・手順6
綾子 あのー晴花さん…ひとつ、いいですか。
晴花
綾子 「誠実な人柄」はぁぁ? 「誠実な人柄」ってナンですか…。さっき性格的なモノはナシの方向にしたじゃないですか―――――!! ズルすぎっ!!
晴花 どうどう…どうどう…落ちつけ~
晴花 でもね…。こればっかりはホントに思うんだ。安堂さんのコレは、性格を超えてスキル…だと。
晴花 以前、あの社長の大演説の次の日にさ…公園でお昼食べてたとき、安堂さん…私たちに社長の考えを説明してくれたじゃん。手帳に1枚1枚シール貼って、私たちに説明するような人だよ?
晴花 大口のお客さんや見込みあるお客さんの前では「誠実さ」を演じられる人はいっぱいいると思うけど、ふだん軽くあしらわれることの多い経理の私らにまであんなことをする人…ウチで初めて見たような気がするわ。私、少し感動しちゃった。
綾子 そういえば…そんなこともありましたね。
晴花 わるく言えばどこまでも誠実な営業姿勢なだけに、強引さが皆無なのかもしれない。本当にお客さんの求めているものに見合うものしか良心が許さないっていうか…。お客さんの維持率が低いのも、いい面が裏目に出てるのかなーと思ってさ、こう書いたんよ。
綾子 ふーむ…なるほどなぁ。
晴花 …で、綾っちは?
綾子 あ、そうでした。
綾子 私はー…まぁみんなが言っているからってことだけですけど、安堂さんの強みはやっぱりレポートの質にあると思います。ウチ、レポートについて担当者の指名はできないことになってるじゃないですか。お客さんから前と同じ人にやってほしいんだけど…って依頼を受けてもお断わりするしかないわけで。でもそんなとき、後で調査担当者名を確認すると…十中八九安堂さんの名前だったりしますから。
晴花 そうだよねー。お客さんからしたら柔軟に担当制をとってほしい…ようなトコロもあるんだろうけど、ウチみたいな小さなところじゃ現実的じゃないもんなー。仕事量が偏って生産性が激しく低下するだろうね、こればっかりは…。適材適所は基本中の基本とは思うけど、社長の意図も理解できる難しいところだ…。
綾子 で、弱みは…晴花さんのこたえとも通じますけど、売上管理を担当する私としては、具体的にお客さんの少なさをあげました。さっき作った分析表とかを見てもわかりますけど、やはり少ないと…思います。
晴花 …なーる。
じゃ、残るは「外部環境」のOTだね。“安堂さんがコントロールできない要因” っていうトコロをふまえて、機会(=チャンス)や脅威になるコトをあげてみよっか。これも3分でいくよー。
綾子 了解ぃっ!

またまた3分後―――。

晴花 じゃ、またいくよー。いっせーのーせ!
綾子 ホイ!
SWOT分析表・手順7
綾子 あのー晴花さん…もうひとつ、いいですか。
晴花 (来る!?)
綾子 「?」はぁぁぁ!? 「?」って何ですか…。いちいちもったいぶらないの―――――っ!
晴花 スローダウン…スローダウン。すていくーる...
綾子 がるるぅー!!!
晴花 ひぃぃー!!
綾子 …って、そろそろ突っ込んでくださいよー。もぉ。
晴花 い、いや…ちがうところにスイッチが入っちゃったのかと思ったから…。
綾子 …で、私はこんなところです。
この前ジニ係数で確認した通り、今は営業力の違いが以前と比べて小さくなってることが分かりましたよね。ですからそれはチャンス以外のナニモノでもないかなと。
綾子 そして脅威となると、社長も言ってましたけど…ライバル社の存在が大きいと思います。ウチにとっては、とりわけBBI(ビジネスブレイン・インテリジェンス)社の躍進はまさに脅威ですよね。
晴花 うーん。綾っちの見立てで現状ではほぼ妥当だよね。脅威としたら、あとは私の書いた「社長のリストラ策」と「営業重視の方針」くらいかな…ぱっと思いつく感じでは。
綾子 あと晴花さん。ハテナの説明忘れてますよ!
がるるー。
晴花 あ、これ? これは…わかんなかった。
綾子 ガーン!
そんな!晴花さん…晴花さんがそんな禁じ手をっ!
晴花 ごめん。でも放棄するつもりじゃ…ないですから…。安心して。
私たちに見えてないことがあるかもしれないから、この点はまた別の日にでも掘り下げて検証してみた方がいいかなー…と思っただけだから。
綾子 ホッ。よかった。
綾子 じゃ、とりあえずまとめておきますね。課題は後日検討予定…っと。
SWOT分析表・手順8
綾子 続きは…少し手のあく来月にでもやりましょうか。晴花さん、頼りにしてますよ(ハート
晴花 あ、綾子に告られたって、べ、別にうれしくなんかないんだからね!
綾子 ツンデレ少女!? 晴花さん、サブカル知ってるんですね…意外。むふふ。
晴花 あ、いや。何それ…。
8月下旬 17:10
リサーチサービス社

8月最終営業日―――。

経理課には、田中に突き付けられた石井との営業成績対決のゆくえを気にするふたりがいる。

晴花 …そっか。もう、大丈夫と見ていいかな。
綾子 田中さんも気になるでしょうね。そろそろまた電話かかってくる頃だと思いますよ。
晴花 はぁー…よかった。綾っち、がんばったね。
綾子 晴花さんのおかげですよ。でも、まだこれからがありますから。これからも…田中さんが軌道に乗るためのお手伝いができればいいですけど。

そのとき、社長が経理課にやってきた。

予想される今月の結果に若干の手ごたえを感じた社長も、朝方から営業成績の行方が気になるらしく、頻繁に経理課に足を運んでいた。

社長 …どうだ?
綾子 そうですね…最後に報告を上げてから、プラス25万です。2部の村上さん、3部の黒川さんで各1件です。
社長 …ったく。夏枯れを心配させてからに…ヤツら…意外とよくやってるな。
綾子 はい。
社長 で、あと…3部の石井・田中、このふたりは?
綾子 数字だけなら、すぐお出しできます…。
えと………………石井さん75万、田中さん87万です。
社長 …そうか。すまんな。

綾子の報告を聞いた社長は、小刻みにうなずきながら経理課を出て行った。

晴花 この! 綾っちめ!
いつからそんなに演技派になったんだYO!
晴花 社長が田中さんと石井さんのコト聞いたとき、「私、バトルのことなんて知りませーん」オーラ、出しまくってたゾ!
綾子 ここだけの話、今の社長の腹のウチは読めませんから。田中さんが変なかたちでニラまれるのは避けた方がいいでしょうし。
晴花 ナイス綾ーっち!
綾子 ユー・トゥー!

ハイタッチをかわすふたり。

綾子と晴花は、田中勝利の確信を強めた。

綾子 あ! 晴花さん! …石井さん! 帰ってきました!
晴花

はめ込み窓の先に、外回りより帰社した石井の姿を認める綾子。

ふたりは石井が売上伝票を持ってこないことを心密かに祈る気持ちで、心臓がはち切れそうな緊張感に襲われた。

綾子 そのまま上に行かれました!! やりぃぃぃ――――!!!
晴花 …まだ、分かんない! 部長に報告してから伝票が下りてくるかも…しれない。

ふたりは待った。その時がこないことを祈った。

しばらく待ってはみたが、いまだ動きはなかった。

晴花 もう…大丈夫…なんじゃない?
綾子 待ってるのって…何か精神衛生上キツすぎますぅー。
綾子 よしっ。私、3部長にさりげなく確認してみます。事務的なお話として。
晴花 大丈夫…?
綾子 まぁ。見ててください…ピパッツ…トゥルル…
綾子 「経理の寺畠です―――――あの…今日の売上伝票の処理で1件確認させていただきたいのですが―――――えーと、こちらでいただいてる分は7件ですけど…以上で締めてもよろしかったか確認しておきたいと思って―――――あ、はい。そうですか。ありがとうございました」カチャ。
綾子    勝・利 !
晴花 うそ…うれしすぎ…

最大の危機をひとまず乗り越えた―――――ふたりはそう確信した。

ここ数か月の、田中との齟齬に悩んだ労苦や 逆境と戦う田中を陰ながらサポートするため試行錯誤を重ねた労苦が、ここでやっと報われる気がした。

それからしばらく、ふたりは勝利の余韻にひたっていた。

形勢が整った以上、社長ももう降りてこないだろうとたかをくくっていたふたりは、それぞれの仕事の追い込みに入っていた。

―――しかしその時、ふいに経理課のドアを開けた人物が、社長であった。

社長 これで最後だ…今日の集計に加えておくよう。

社長は、一枚の売上伝票をつまんでいる。

折り目のない、ピンと張った伝票であった。

綾子 あれ? まだ…あったんですか…?
社長 ああ…これが正真正銘、最後だ。今月は以上で締め、だ。
社長 それと、営業ポイントは…日南くんだな? この件については、営業ポイントは不要。絶対に付けるなよ。
晴花 …え(???)

社長は綾子にその伝票を手渡すと、満足げな表情を浮かべて上階へと戻っていった。

そして綾子は―――伝票へとおそるおそる視線を落とす。

綾子 なんで…

綾子の様子にわれしらず席を立ち、綾子の背後に身を寄せた晴花は…

……………………………………………天を仰いだ。

最後の最後に届けられた売上伝票に 流麗なブルーインクの文字で記されていたのは、石井の名と20万円の売上であった。