ひとりマーケティングのためのデータ分析

StoryPart
Chapter3 -Third Step

Chapter 3 > Section 1

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9月上旬 8:40
リサーチサービス社

あとちょっとのところで、田中は勝利を逃した。勝利に確信をもっていたふたりは、それだけに反動にさいなまれる帰り道となった。


月があけて、翌日。


当の田中は、結果を冷静に受け止めているようだった。勝敗の結果はともかく、やれることをやり尽くし石井と最後まで互角に渡り合えたことが、ある種の自信を与えたのかもしれなかった。


さて、ここリサーチサービス社では、ほとんどすべての人間を集めて月初めの全体朝礼がおこなわれていた。

社長 …ことリサーチに関しては、本物を見抜く力量が問われている。たとえば、こんな話がある。アメリカのとあるステーショナリーメーカーの話だ。ちょうど当時は…
綾子 (くぁぁ…。お腹すいたよぉ。 こんな時に長話を聞かされるのは…かんべんしてくださいぃぃ(汗
RS3部 田中 (こりゃ、今月も長そうね…)
9月上旬 9:20
リサーチサービス社

全体朝礼が終わって、しばらくののち。

田中は、綾子たちの労をねぎらおうと経理課を訪れた。

RS3部 田中 …これ、朝、駅前で買ってきたんだ。とりあえずのお礼、と言っちゃナンだけど…よかったらお昼にでも食べてよ。
綾子 うわわわぁ!○○ベーカリーのバターロール!それもこんなにたくさんっ!!
RS3部 田中 私の買い物ついでで申し訳なかったけど…とにかくこの1ヵ月、いろいろあったからさ…。ひとまずのお礼をしとかないと。
晴花 ここのパン、おいしいよね。田中さん、わざわざごめん。後でいただくよ。
綾子 …私は今から早弁ですけど! 目の前の誘惑にはかないませーん。ぱくっ。
綾子 くぅぅ!おいし――――――いっ! んぐんぐ。
晴花 …フライングとは。えーい、無くなる前に私も…。ぱくっ。
晴花 う――――――。じあわぜ~。
RS3部 田中 気に入ってもらえてよかったわ。出来立てのウチがおいしいもんね。
綾子 やばい! 手が止まりませーん。
晴花 綾っち、それ何個めさ。4つ目でしょ?
綾子 いいんですー。今日、朝、寝坊して食べられなかったん…
綾子 …ゲホ!ゲホっ!
RS3部 田中 あ、綾っち…大丈夫ぅ?
晴花 いきなりがっつくからよ。まったく。
RS3部 田中 …ちょっと外すよ。

そう言って田中は、同じビルに同居するコンビニへと出かける。



―――そしてしばらくして、小さな買い物袋を片手に戻ってきた。

RS3部 田中 ほら綾っち、これ飲みなよ。日南さんも、コレ、どうぞ。

と言って、田中は綾子たちにペットボトルのお茶を渡した。

そして自身も買ってきた缶コーヒーの蓋を開け、少量を口に含んだ。

綾子 ゴクゴク。
…ふぅ。無茶やってしまいました。すみません。
RS3部 田中 まったく綾っちは。中身はまだまだお子さまね。

三人は、嵐のような月末が過ぎ去ったあとの、まったりとした空気を歓迎した。

RS3部 田中 あー…でも、昨日はホント残念だったな。あとちょっとのところでかわされるとは、さ。
RS3部 田中 さすが石井くん…か。手を抜くどころか、逆に現実の厳しさを叩き込んでくれちゃったわ。

話題が昨日のことに及び、顔を曇らせて押し黙る綾子と晴花。

RS3部 田中 …あ、いや、ちがうちがう。誤解しないでYO! ふたりのコト責めてるわけじゃないのに~! ありゃりゃ…。

田中は、配慮を欠いたことを口にしてしまったと思い、焦燥をおもてに出した。

綾子 …あ、いえいえ。そうじゃないです。
綾子 …ふぅ。
綾子 …田中さん、本当は勝ってます。多分…ですけど。
RS3部 田中 …? えっ?

田中は、困惑の上に笑みを重ねたような複雑な表情をつくった。

晴花 …。
綾子 石井さんの、最後の売上伝票…です。これが来るまでは、田中さん…勝ってたんです。

綾子は、ファイリングされた伝票の束から一枚のそれを抜き出した。

RS3部 田中 …ん?
RS3部 田中 新規先? 20万…ということは、これを含めなければ石井くんは75万…確かに、私が12万円上へ行ったということにはなるけど。…でもそれはその時点での話だし、別におかしくないんじゃないかな…。綾っち、どういうこと?
綾子 社長から…降りてきたんです、コレ。最後の最後に。
RS3部長でも、ましてや石井さん本人でもなくて。
綾子 …この字、見てください。
RS3部 田中 もしかして…
これ、社長の字!?
綾子 …はい、おそらく。
綾子 それに…社長はこの件で石井さんの営業ポイントをつけるな、と晴花さんに言いました。それってつまり…。
RS3部 田中 …………………………。

売上伝票をじっと見つめたまま、田中は身体をピクリとも動かさなくなった。

ほどなくその硬直を解くと、懐からスマートフォンを取り出し、慣れた手つきでメモリーをあさる。

RS3部 田中 …あ、係長。田中。
今いいかな? 昨日の…○○テクニクス社の成約の件で聞きたいんだけど…。
RS3部 田中 …………………………
…そっか、分かった。ありがとう。ピッ。

電話を切り、固く唇を結んだかと思うと、田中の表情がみるみると怒気を含んだものへと変わっていく。

缶コーヒーを握った左手が、ぷるぷると震えていた。


次の瞬間、田中は綾子らに背を向け、勢いよく経理課のドアを開けた。

逸る気持ちを代弁するかのごとく、前傾姿勢で階段を一段づつ飛ばしながら上っていく。RS部のフロアに入った田中の視界に映るのは、社長のデスク…ただそれだけだった。

この時間、RS部員の半分ほどがフロアに残っていた。皆、この日の仕事の準備にあわただしくとりかかる喧噪のなか、フロアを脇目も振らず縦断していく田中の歩みは、他の者たちにもある種異常なものとして映った。


田中は社長の目前までやってきた。


社長は、各部の営業計画書を見ながら、この月の行方についての思案を重ねている。文字と数字の雑多な羅列に視線を落としていた社長は、前方にできた奇妙な圧迫感に注意をひかれ、ゆっくりと顔をあげた。

―――田中は、怒りに震える気持ちを解放した。

RS3部 田中 …○○テクニクス社、どういうことですか!
社長 …何だ唐突に。

社長は、田中の勢いに押された。

自然、フロアにいたすべての人間の耳目をひきつける。電話のコール音だけになるRS部のフロア。

RS3部 田中 こんな卑怯な手で…こうまでして反故にしようだなんて…。
社長 …。

社長は、言葉を発しなかった。いや、衆人環視の状況の中、何を言っても自分にとって利があろうはずもない。ただ、黙っていることを選択する以外になかった。

RS3部 田中 今、この時にでもお払い箱にしたいなんていう腹…アタシがバカだから分かんないとでも思ってるワケ? ところがどう…先月はそれが叶いそうになかった!
RS3部 田中 あげく、石井くんに自分(社長)が取ってきたところをつけるなんて…。
RS3部 田中 ここにきてルールを捻じ曲げるなら、職権でも何でも使って今すぐにでも切ってみたら! もっともアンタはその覚悟さえないヘタレなようだし、アタシからその口実を作ってあげるわ!

そう言うと、田中は左手に握っていた缶コーヒーを右手に持ち替え、中身を勢いよく社長めがけてぶちまけた。


―――社長を汚した液体は、飛沫となって周囲に散った。



「感謝することね!」



そう言うと 田中は背を向け歩き出す。そして、自分のデスクに置いてあった鞄をむんずと掴みあげると、フロアを出ていこうとした。


状況を見かねたRS3部長が、あわてて田中に静止を求める。


―――田中はそれを無視して、足早にフロアをあとにした。


その頃、一階では―――。

晴花 田中さん…いったいどうしたん? 急に出て行っちゃったけど…。
綾子 …私、余計なこと言っちゃったんでしょうか?
晴花 そんなこと…ないんじゃない? 別に綾っちが伏せておいたって、この狭い会社の中のことだもん…すぐに気づくよ。それに、先月がダメだった以上、今月しか残されていないわけだし…。田中さんが今月の作戦を練るにあたって、それは秘密にすべきでない重要なことがらだと私も思うけど…。
綾子 …うーん。だと、いいんですけど…。

晴花の言う「狭い会社」の中の出来事である。一時間も経たないうちに、田中のしでかした不始末が業務課の仲間より綾子たちにも伝わってきた。

業務課員 (業務課員)…ってことが。マジみんな凍りついちゃったよ!
綾子 えええ―――――っ!? ウソだよね!?
業務課員 こんなこと冗談で言えるわけないじゃんか。マジだよマジ。
綾子 …ウソ…
晴花
綾子 …で…社長は…どうしたの?
業務課員 いまさっき、出かけた。…でも、それまでさ。何も言わずに憮然とした感じで沈黙したままなんよねー。うすら怖くてかなわなかったよ。
綾子 どこ行ったの? もしかして田中さんに関係が?
業務課員 さぁ。でも社長、ウチのリーダーが服を調達してこうか聞いたら「必要ない」って言ってたし…多分着替えに帰ったんじゃないかな。家も遠くはないんだし。
綾子 …ああ……田中さん…こればっかしは…無茶ですよぉ…
業務課員 社長のことだし、何より人目もある場でのこと。処分は絶対避けられないよねぇ…。
業務課員 あとはそのレベルだけど…最悪、あのインパクトじゃん?…とくれば…
綾子 あー言わないで…考えたくもない…。
晴花 …。

その後、いく時間かののち。


田中はRS3部長に会社へと呼び戻されると、こってりと弁明を強いられることとなった。

9月上旬 8:40
リサーチサービス社

翌日―――。

綾子 昨日、田中さんからメールが来て、今日から処分が決まるまで自宅待機になったと…。晴花さんにも「ごめんなさい」とことづけておいてほしいとのことでした…。
晴花 そう…。こっから先は何もできないもんな…。

そのとき、ドアを開けて経理課に入ってくる人間があった。

久しぶりに顔を見せた、初江であった。

初江 …おはよう。
綾子 あ、おはようございます。
晴花 おはようございます。
初江 こう暑いと、会社まで来るだけでもひと仕事。
初江 まったく…この歳のアタシを、こんな早い時間に呼びつけるとは…いやになっちゃうねぇ。
綾子 急ぎのお仕事ですか?
初江 昨日…何かあったんだって? 賞罰委員会を開くだかんだで呼ばれたんだけど。あんたたち知ってる?
綾子 たぶん…RSの田中さんのことだと思います。
初江 RSの…田中………田中……
あぁ、あの赤髪のあの子。
綾子 はい。
初江 …あの子が何をしでかしたんかね。晴花ちゃん、まさかウチ(お金)の関係じゃないでしょうね? もしそんなことしでかそうもんなら、あたしだけでなくアンタも…
晴花 い、いや! も、もちろんちがいますっ。

初江が晴花に是非を問うたとき、綾子は机の下で足先を伸ばして晴花の脛を二度つついた。


「都合よくコトが運ぶような環境をつくれ」


―――無言のプレッシャーを受け取った晴花は、その無茶振りにうろたえた。

晴花 …な、なんか聞いた話だと社長と田中さんとの間で約束ぅ?の行き違いがあったとか。
晴花 そこで田中さんがちょー↑っとコーヒーをこぼしてしまったとかで、社長にご迷惑をお掛けしたみたいですけどぉお…。それでも社長、叱責されるぅ~こともなく寛大な対応をされたとかぁ↓。す、素敵だよぅ↑ねー綾っち→。
綾子 はい。
晴花 …田中さんも、いい時だったのに残念なんですよよよ。え、営業成績も前月比で70%アップで…えーと…上位30%に入ったところだっていうのに。私たちも田中さんを通じて会社に少しでも貢献できたらなーってアレヤコレヤとやっていたところだったんで、と、とっても残念なんですぅ~。
初江 …アンタたちが?
綾子 社長も、田中さんも、この会社も好きですから。だから私たちでもできるところからバックアップをしないとね…っていうことになりまして…田中さんにいろいろとお手伝いをさせてもらって…いたのに、今日からそれもできなくなっちゃいました。
初江 …へぇ。アンタたちがねぇ。いったい何があるのやら。
そこまで言うなら、綾子ちゃん。ここ半年ばかりの実績表を。
綾子 あ、はい…。
カサカサ…カサカサ…っと。 …これです。
初江 ………ふーむ。
あんたたちらしからぬ、おおげさなことを言いだしたかと思えば、まったくの我田引水…というわけでもなさそうなのね…。…この会社にも窮すれば通ずるところがあったじゃないか。
初江 …あたしはあんまり来られないし、何もアンタたちの力にはなってやれないけれど、会社のためになるならできることはどんどんしてやってくれたらいい。でも、アンタたちの裁量に収まらないようなときは、独断は絶対にダメ。
綾子 晴花 はい。
初江 それと…晴花ちゃん、アンタは今以上にこの会社のことに通じておくように。…いろいろと。もちろん、今回みたいな不始末ごとだけは避けるのよ。
晴花 (ビクッ!!)

そう言い残して、初江は上階に向かった。

綾子 晴花さんの演技、ヤバすぎ………あ、悪い意味で。周りの人間に 笑いこらえる技量が必要になるよな演技は カンベンしてください。
晴花 あ、綾っちがさせたくせにその言いぐさかよ! …でも自分でも思うわ! よりによって何だよ、私のあの持ち上げ方は…。このこのこの!
晴花 …おかげですっごい罪悪感。
綾子 だってしょうがないですよー…初江さん、晴花さんお気に入りだし…息子の嫁的な意味で…。何といっても今は田中さんのために、我慢ですって。過程はどうあれ、会社のためって心意気は、決してハッタリではないですから。
晴花 …うーむ。
綾子 …でも、今ので確実に初江さんを「お母さま」と呼ぶ日も近づきましたね。ま、何事にも副作用は付き物ということで。ちゃんちゃん。
晴花 勝手に締めるな…それも with 効果音で…このやろ! ポカッ!
綾子 (…この手刀…分かってても避けられない…晴花っ、恐ろしい子…)

その日の昼―――。

賞罰委員会を経て、田中の処分は明日(みょうにち)からの出勤停止五日間と決められた。
この処分は、その日のうちに本人に伝えられた。


解雇―――という最悪の結果を免れただけで、綾子にとっては十分だった。おそらく初江がいい方向に働きかけてくれたに違いない……綾子たちは、そう思った。

9月上旬 19:30
Navi in Bottiglia

その日の夜、ナーヴ前―――。

晴花 綾子 あのー!? こんばんはですー。
RS3部 田中 ちょ、ちょっと! よりによってここは…やばいっしょ…。ひやひやなのに…。

Tシャツに薄手の七分袖のパーカーをはおり、ボトムにはダメージジーンズを、頭にはベースボールキャップを目深に被った田中が、ナーヴの向かいの道路わきに隠れるようにして立っていた。

いつもと違って、長い髪を右サイドからクリップで止めている。ちょっと見、田中とは分からない装いであった。

晴花 大丈夫だよー。待機命令は外出禁止とイコールじゃないし…。ちゃんと就業規則で確認してきた。
RS3部 田中 で…でもさ…。あんなことしでかしちゃったし…どこかで会社の人たちにバッタリ…なんてことはツラいわけで…。
綾子 じゃ、とにかくお店の中に逃げ込んじゃいましょう! ね。

綾子の言に導かれるようにして、三人はナーヴへと入っていった。



処分が出た後、綾子は田中に連絡を入れ、会社帰りにナーヴで会う約束をとりつけていた。

処分を受け入れず、田中が辞めてしまうかもしれないことが、どこかで心配だった。


木椅子に身体を預けてから――― 三人は、なごやかでいながら、それでいてそこはかとなく緊張感の抜けない、奇妙な空気の中で食事をとっていた。

綾子 んぐんぐ…おいしいですこのパスタ。あたらしいのに挑戦してよかった。
RS3部 田中 マジ!? 少し味見させて!
綾子 会社辞めないなら。…田中さんが。
RS3部 田中 ブ―――――ッ! ゲホゲホホッ!!
晴花 唐突だなー。脈略も何もあったもんじゃない…。
綾子 …ギブアンドテイク…ですよ…。さればいい返事も聞けるもんかと…。
RS3部 田中 辞めない辞めない…。会社が、これでも “やめろ” って言わないのなら…。どうせプライドもへったくれも、どこぞで迷子になったままだし、会社に両断されるまでは意地でもしがみついてやるつもりだわ。…でもちょっとやりすぎちゃったけど
綾子 晴花 ホッ。よかったー。
綾子 …じゃぁ、私たち田中さんの復帰を待ってますからね。今月こそ絶対に社長にぎゃふんと言わせましょうよ!
RS3部 田中 もち。言われなくてもそのつもり。
晴花 綾っちなら…またきっと…きっと必ず絶対確実になんとかしてくれるはず。
綾子 またそこでハードル上げるぅ…。だいたい晴花さんがし…
RS3部 田中 うん。すっごく期待してるから。綾っち。
綾子 そう…ですか。じゃぁ少し…がんばってみよっか…な
晴花 RS3部 田中 はははは。
9月上旬 19:10
リサーチサービス社

翌日―――。
田中の出勤停止一日目。

社長 …自転車のカギをもらえるか。
綾子 こんな時間からお出かけですか?
社長 ああ、ちょっとな。オレが戻る頃には、君らはもういないだろ? とりあえず、明日の朝までカギはオレがもらっておくぞ。
綾子 わかりました。行ってらっしゃい。

社長は、ビルの共用通路の片隅に止めてある社用自転車にまたがって、荷物も持たずに出掛けて行った。

晴花 この時間に…どこ行くのかね?
綾子 さぁ。
晴花 …ま、いいんだけど。
それにしても、いよいよ田中さんのいない日々が始まっちゃったねー。処分って手前だと…田中さんがいないことに強烈に意識が向いちゃう。
綾子 あっ! そうじゃないですかー!!
晴花 (…そうでもなかったのね、Youは)
綾子 …そういえば! 昨日、私…また勢いで…考えもないのに…!
晴花 「がんばる」って言ったこと?
晴花 大丈夫だって綾っち…田中さんの勢いも今までとは違うんだし。思いのほかすんなりいっちゃうかもよ。
綾子 私もそれはそう思うんですけど…でも1週間のロスはイタくないですか? 1/4ですよ、1/4!
晴花 …あ、そっか。この期間がまんまハンデなんだね。イケネ…。
綾子 前に出したリストのような格好で…まだ掘り起こしてないところとか…見つかるでしょうか? あるいは田中さんが握っているところとか…まだ残ってたり…。
晴花 …うーん…どうだろーねー。先月のペースだと、温存してたとしても勝負を決めれるだけの量は…。
綾子 やっぱり…ですよね…。簡単に営業事情が変えられるなら、誰だって苦労しませんよね…。
綾子 何ができる…何ができる…私には…何が…。
晴花 いきなり悩んでもむずかしいさ。綾っち、簡単に考えよー。私たちは、何に負けたん?
綾子 …え!?
綾子 …しゃ、社長…ですか…?
晴花 うん。でも実際のところは、石井さん…というべきか、社長…というべきかよくわかんないけどさ。いずれにしろ、私たちは石井さん界隈の数字を読めなかった。そんなトコロが今思うとダメダメだったかもねー。
綾子 そっか!その辺がしっかりしてたら…もっとこう…田中さんも整然と見通しを立てられる!
綾子 よし、じゃあ石井さんのここ2年ばかりの売上、出してみます。田中さんに “プレゼン” した時も出しましたけど、この7・8月の売上を加えて、あらためて作ってみますね。
晴花 うん。

しばらくののち―――。

綾子 これでいっか。
綾子 先月(8月)のは社長のものと思われる20万の売上を一旦抜いています。読みづらくなるので。
綾子 で、この9月(今月)に…
綾子 こう…どこにくるか、その場所に見当をつけることが…
綾子 私がまずやらねば! なことですよね。
晴花 …そうかも、ね。
綾子 “プレゼン” したときは…えーと、およそ10回に7回の確からしさで 60~80万の範囲のいくらかにおさまるんじゃないかなーと…ま、広く可能性を見積もりました。だけど正規分布もどきな考え方に頼らずに…もうすこしピンポイントでどうのこうのって視点に替えて見積もっていくとなると…
綾子 …うーん………………
綾子 …そうだ!Zチャートの移動年計線…あれ、変動要因をならした “すなおな” 売上の推移でしたよね。あの考え方は…使えそうじゃないですか?
綾子 あれを12で割ったものを、確か…12ヵ月の移動平均って言いました。移動年計線で直近の動向を見立てられるなら、移動平均線だって同じような性格をもつはずですよね? だからもし、次の月が過去とまったく無関係のものでないなら…直近いくらかの期間を対象に計算した移動平均は、ある意味…予測値として使うことだってアリ…なんじゃ…ないですか?
晴花 そうだそうだ! やっちゃえやっちゃえー!
綾子 (うっ…不安にさせる煽り…)
ま、いいや。実践しなYOということで…。えーと、私のトラノコノトラノマキに「移動平均」載ってたから参考にしよ…と…。

移動平均法による売上予測の手順をひらきます

綾子 ずじゃじゃ―――――ん!!
3ヵ月移っ動平均っによる予測でーす!(ドヤ)
移動平均法による売上予測
綾子 9月のトコ見てください。石井さんの売上は、このとおり…ずばり75.3万円なのれす!(ビシッ)
綾子 ってことで…今月と同じ金額で横ばいってことなのれす!(ズバズバッ)
綾子 (完っ璧に決まった! 最っ高の気分…)
晴花 ほうきとちりとり~(音符
綾子
晴花 おっかしいなぁー。なんだか今日は綾っちの机のまわりに半角カナ文字のようなゴミがいっぱい落ちてますね~。ほら、バッチイからさっさと片付けちゃいましょうね~。サッツサッツサーっと…
綾子
晴花 冗談はさておき…。75万、かぁ。…なるほどね。
石井さんだけの純粋な数字としては、やっぱりそんなもんなのかな。
綾っちはこの結果、どう思う?
綾子 …まぁ…こんなものかなと。短期の目安という意味で 3ヵ月移動平均を使いましたし…そんなに突飛な数字でもないように思いますよ。
晴花 そっか。確かに、ここ2ヵ月は…他の月と比べてさ、実際の値と移動平均線の距離とが接近ぎみには見えるとこだね。そこだけを考えれば、予測値もケッコーいい線いってくれるのかもしれない。
綾子 でしょでしょ…
晴花 でも所詮は先のこと。全知全能な予測なんてできっこないし…結論を出すのは早すぎないかな。
綾子 …うーむ。やっぱりちょっとなんかこう…違ったところからあわせて見れたらいいなとは思いますけど…。
晴花 うん。ホントは、石井さんが見通しを教えてくれるのがいちばんの情報になるのよね。でも田中さんも言ってたとおり、それじゃ談合になっちゃうし…何より社長の件があるから、アンフェアな戦いは田中さんが許さない。
綾子 …結局私たちは、手元にあるデータで判断するしかないわけで。
晴花 だからこそいろんな方法で検討してみようよ。綾っちが今やったような時系列分析とよばれるテクニックは、移動平均法のほかにも…カキカキ…キュッキュッ…
晴花 …思いつくだけでこんなにあるんだ。 …煽り気味に盛ったけどNe!
綾子 うわぉ! こんなに!?
晴花 もちろん、手法ごとに向き不向きがあるから…全部こなすなんてことじゃないよ。
晴花 推移が直線的かあるいは否かなんかでも、フィットする予測手法も変わってきたりするし。…たとえば、ここにあげた回帰法ひとつとっても、まっ直線な通常の回帰式から予測を行うことがハマることもあれば、対数近似・べき乗近似・指数近似といった、曲線的なそれに加工した方がハマることもある。
晴花 はたまた、成長曲線のようなS字軌道がハマる場合もあるわけで…。
晴花 結局さ、ここで売上を考えるような場合には、前に見たトレンド循環をある程度でも推し量れるかがカギになりそじゃないかなーって思うんだ。
晴花 っていうことで…綾っちは、この石井さんの推移をどう見る?
綾子 それは…
綾子 やっぱり、それに季節のムラとかが乗っかっちゃってること考えると、うーん… 近頃ならやや下りぎみから持ち直し基調…もっとならして言っちゃえば、横にまっすぐのラインを軸にして、あまり広くない範囲で上下動を繰り返してるって…そうしたカンジにも思えちゃったり?
晴花 なーる。
晴花 さっきの移動平均法は、今の綾っちのような見立ての上では扱いやすい手法といえるだろうね。…こんなカンジでさ、このケースでも扱いやすそうな、ポピュラーで基本的な方法となると…えーと、さらにさ、指数平滑法と最近隣法なんかを追加して、どんなところを示すものか Let's 確認 などいかが?
綾子 指数平滑法…そういや…この本にあったような…ペラペラ…
綾子 …あっ!ありました!
晴花 しゃー。じゃ、綾っちがやってくれちゃったりしちゃう?
綾子 あ、はい。もちろん。できれば自分でなんとかしないと…。
晴花 なら私の担当は最近隣法。…あとから、互いの結果を照合してみようよ。
綾子 がってんです!

指数平滑法による売上予測の手順をひらきます

最近隣法による売上予測の手順をひらきます

しばらくののち―――。

綾子 それでは、私から…。
綾子 ここ6期の誤差の平均で判断した指数平滑法です。この値がいちばん小さかったのはα(平滑定数)が0.3としたときでした。このとき…予測値は73.1万円…のようですね。
綾子 …と、いうことは…移動平均法とは2万円とちょっと、ひらきが出たんですね。…3%くらいの差。
晴花 …いいトコらへんに収まってきたとも思うけど。どうだろ?
晴花 ならば私の最近隣法はこれね。…トンッ。
綾子 これまた…予測値は70.8万円…と来ましたか。
綾子 移動平均法とは6%くらいで…指数平滑法とは3%くらいの差が出ましたね。
晴花 うん。じゃ、3つの手法の数字をまとめて…と。…カキカキ。
綾子 これ…どう考えたらいいんだろ…。せっかく予測してみたのに、選択肢が増えちゃって かえって混乱させちゃったような気がします…。
晴花 いや、それでいいんじゃないかな。予測って、そもそも「不確実性を確認する行為」なんて言われたりするしね。
綾子 フカクジツセイ?
晴花 簡単に言えば、この先起こることの確実さを言えないってコト…かな。不確実性が色濃くなればなるほど、逆にリスクに対処しておこうっていう発想だって生まれやすいよね。
綾子 確かに。
晴花 それに…予測が大きく外れたところで、過去の延長にもとづいた予測ができなくなったこと、言い換えればそれまでの構造をひっくり返す的な変化が起こったっていう重要な情報を与えてくれるんだから…ある意味、予測という行為は無駄になることはないんだし…。とはいえ…今回に限ってはそうした変化…ご遠慮願いたいけどね。
綾子 なるほど…予測そのものを目的とすることなく リスクの想定にこそ気を配るべきですね…。あぶないあぶない…。
晴花 ま、そういうことだから…寸分の狂いなく当てようっていう気持ちより、目安をつけようって気持ちでいいんじゃないかな。とりあえず、今やってみた予測にかんして、どういった点が説得力を持ちそうか、それぞれ考えてみましょっか。
綾子 了解です。じゃ、まずは移動平均法ですね。
綾子 移動平均線は…ここでは、直前の3か月の売上を単純にならした値になりますよね。
晴花 だーね。株式チャートでも広く使われるところだけに、“トレンド” を知るにはもってこいのツールだね。
綾子 トレンド…かぁ。上がり下がりしながらゆっくりと下降傾向にあるようにも見えなくもないけど…このあいだのZチャート見をても、最近、下げ止まり感がひしひしと出ていましたよね…。3月からの怒涛の戻しっぷりは、さすが…石井さんといったところですか。
綾子 …ん!?
晴花 どーしたん? …綾っち。
綾子 …あれ? ちょっと待ってくださいね。

と言って、プリントアウトしたグラフにシールを貼っていく綾子。

綾子 …これ、見てください。
綾子 移動平均線の向きが上下に変わった点にしるしをつけてみました。…やっぱり、そうですよね。
晴花 …なーる。おもしろいじゃん。いいね綾っち。
綾子 とりあえず、去年の3月までを第1ターム、それより後を第2タームとしておきますね。本当はもう少し先も調べておくべきかもしれませんけど、第1タームの転換点はその後のトレンドが長続きしていませんよね。
晴花 確かに。その後の第2タームのトレンドは、一度転換したら少なくとも3ヵ月は続いてるゾ。
綾子 そしてまさに先月、転換点を迎えたばっかりということは…。
晴花 …と、いうことですか? 石井さん、今回ばかりはごめんなさい…
綾子 いちおう、数字は横ばいと出ましたけど、トレンドのパターンを考えると…やっぱり、ドカーンと大幅な上積みが来そうな恐怖…少し、やわらぎます。
綾子 …ということで、指数平滑法や晴花さんのサイキンリン法の方向性が現実味を帯びてきたんじゃないですか?
晴花 ほうほう…指数平滑法の場合、6期の誤差の平均をもとに検討すると、それが最も小さくなるのは平滑定数αが0.3のとき…だったんだね。計算式からまんまなんだけど…αは言うなれば誤差をどの程度予測に反映させていくかの指標となるんね。
晴花 1に近ければ近いほど、予測にあたって各期の誤差が反映されていくわけで。逆に0に近ければ、それも小さくなっていく…と。
晴花 ひらたく言えば、トータルで誤差が最も少なくなるαをファーストチョイスとするときなら、前者の場合ほど、直近の事情が重視されたモデルの方がフィットし、後者の場合ほど、過去の事情が重視されたモデルの方がフィットする…そんなカンジになるね。…ここでの0.3という数字は、どちらかでいえば後者というわけだけども。
綾子 むずかしいですけど、平滑化…というトコロでは移動平均法と同じですね。でも、指数平滑法は予測に誤差を取り入れ取り入れしながら次の予測を出していくんですから…最近のデータによって影響を受けた部分を移動平均法より強く含んでるっていう点では、私たちはこの結果を無視しちゃいけないのかもしれません…。
綾子 あ! ただし…予測値にみる方向性は移動平均法と下方向で一致しますね。…その点は違いないようで。
晴花 希望的観測になっちゃうけど…そこは、私も信じたいナ。
綾子 …で、最後のは…最…近隣法ですか。
晴花 あ、うん。
晴花 こっちはパターンに注目する方法だね。この最近隣法では、過去のデータのどんなトコロが注目されたのかを見てみるよ。じゃ、これね。
晴花 オレンジと黄色のマーカーを引いたところが、今回ウエイトを掛けた場所だね。6期という条件を選んで予測を出したわけだけど…この6期の中でも、ウエイトの高いものと低いものとがあるじゃん?
晴花 中でもオレンジは、特に重いウエイトと言えそうだね。この3つで予測値のおよそ60%を決めているわけだから。
綾子 ふんふん。
晴花 で、石井さんの売上グラフに、上でウエイトをおいた場所を重ねると、グラフのこんなトコロに注目してることがわかるよ。
綾子 うーん…。
私には何が何だか…。どこがどう注目すべきなのか…よくわかんなくないですか?
晴花 じゃ、こうしよっか…。綾っち、シール少しちょうだい。
綾子 あ、はい。
晴花 この方法の場合、まず赤のラインに注目するんさ。
綾子 すぐ前の動き…ですか?
晴花 うん、2期前から1期前の推移。
晴花 …で、分かりやすいように…注目すべきとした、オレンジの枠で囲まれた売上のトコロに、空色のシールを貼ったよ。
綾子 …ですね。
晴花 つまり、空色シールの2期前から1期前の動きは…。
綾子 はっはー! グレーのライン。
グレーのラインの後どうなるかが空色のシールなわけで! このパターンを赤のラインの後でも活かそうと…。
綾子 なるほど。おっもしろいですねー。
晴花 だね。それで出た数字が70.8万円ということで。
綾子 パターンという観点だと、グラフを見て思ったんですが…石井さん、意外と9月・3月のような決算期が重なるタイミングは苦手にされているのかもしれません。もしそうだとしたら、前見たように、田中さんとは正反対になりますね。
晴花 あ、ホントだね。
綾子 なんかいろいろとチョー追い風じゃないですか!? うは!わは!あはは!
晴花 う~む…
綾子 どーしたんですか晴花さん。こんなときくらい、素直によろこんじゃってくださいよ~。私ひとりで悲しいじゃないですかー。
晴花 …なんか、出来すぎのような気も。
綾子 一体何がですかー。もう…
晴花 今回のことも含め、こう…いろいろと計算されてる…みたいな。
晴花 こうして、考えれば考えるほど…ギリギリのトコで田中さんにフォローの風が吹いてるような気が…しなくない?
綾子 もしかして、社長のこと…ですか。
晴花 …うん。
綾子 まっさかー。ツンデレってやつですかぁ?
そんなだったら田中さん、先月とっくに勝利のゴールインしてますよぉ!
晴花 …それもそっか。ゴメン。忘れて。
綾子 どうも最近晴花さんからサブカル臭がすると思ってたんだよなー。何かおもしろいネタあったらひとりで楽しまず私にも教えてくださいよー。
晴花 あ…うん(ボソッ)
晴花 それはそうと…予測値…どう設定しよっか。てっとり早く話変えトコ…
綾子 あっ。そうですよね。
晴花 およそ5万の幅だし…最も額の大きかった移動平均法の値を設定しとく?
綾子 えー。でも指数平滑法も最近隣法も説得力ありましたよ。ガトーショコラ・パンナコッタ・モンブランから1つ選べっていうのは…私のいちばん苦手なとこだって晴花さんも知ってるじゃないですか…。
晴花 じゃあ…邪道も邪道なんだけど、ここは折衷案で…。3つの結果にウエイトをかけて、1つにしちゃうとか?
綾子 あ、それいいですね。合成しちゃいましょう!
晴花 それなら、綾っちがいちばん重要視したいものだけは1つ選んで。しいて言えば…でいいから。
綾子 となると…指数平滑法ですかねぇ。3つのうちの真ん中の値を示しましたし…。
晴花 じゃ、指数平滑法の予測値には4/10のウエイトを掛けよう。移動平均法と最近隣法は3/10づつね。
カキ…カキ…
晴花 綾子 あれ!?
晴花 綾子 ぷっ。
綾子 結局…指数平滑法と変わりませんね。
晴花 「これでイケ!」っていう暗示カナ…こりゃ。
綾子 私は、そう…信じることにします。
…じゃ、この73万円をターゲットにっていうことで。
具体的な方策についてはまた田中さんを交えて。
晴花 了解。
綾子 よしと…。社長が帰ってくる前に私たちも帰りますか。あんまり遅いとおこられちゃいますから。
晴花 じゃー、指数平滑法さまさまで…パンナコッタ、寄ってく?
綾子 いいですねー! 行きましょ!
[挿絵]甘い寄り道