ひとりマーケティングのためのデータ分析

First Step

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6月上旬 16:00
リサーチサービス社

綾子はこの日朝の通勤電車の中で、昨晩買い求めた本を開いてみた。そして会社に着くなり、「やっぱりカバーは付けてもらうべきだった」と顔を赤らめて晴花に言う。

美少女OL?とイケメンサラリーマン?が2時の方向30°上方をビシッ!とゆび指す姿が描かれた本の表紙は、周囲の怪訝そうなチラ見視線を集めるに十分だ。

経理課で整理された使用済みの封筒を裂いて、早速ブックカバー様(よう)に形を整えている綾子を横目に、電車の中で見るのを止めておくという選択肢がなかった綾子の真っ直ぐさを、晴花は微笑ましく思ったりもした。

そしてこの時間。綾子は先ほどまで、くだんの本とディスプレイとを交互に見ながらいろいろと格闘していたようだが、かれこれ五分ほど前から手を止めたままでいた。

綾子
はーるーかーさーんー…
晴花
ほいきた!
晴花
…っていうか何よ、そのどす黒いオーラは。
綾子
だって、エクセルがー…急に言う事聞いてくれなくなって…
晴花
…ったく、エクセルは生き物か、と一応突っ込んでおこうか…。
その前に その黒いの どうにかしてよ。
綾子
ふりふり…はーはーはー…
晴花
で、どうしたの。
綾子
え、晴花さんは聞いてくれるんですか。
綾子
やっぱり晴花さんはドライなコンピュータとは違うなっ(音符
晴花
(きれいなジャ… ベタだ…やめとこ)
綾子
あのですね、私、ポイントのデータ使って…
これ、やってみたいと思ってるんです。

…と言うと、綾子は本の当該ページを晴花に示した。

晴花
むむむ…パレート分析…?
綾子
晴花さん、知ってますか?
晴花
…ほんとーに、すこしだけなら。
綾子
うは! すっごーい!
綾子
…とはいうものの、晴花さんなら知ってるだろうとは思いましたけど。でもこの前一緒にやった偏差値のときから不思議だったんですけど、晴花さん何でこうした…データ処理っていうのかな?…こういうの詳しいんですか? 何も見ないのにふいふいさっさーって教えてくれちゃいますし。
晴花
綾子
…ん?
晴花
あわわ…
く、詳しいことなんて…ないんだからね! 前の職場で近くにこうしたことやってる人がいたし、その…見真似なだけよ! もぉ~! 私に…い、ね、年齢を感じさせるような昔のことは聞かないのーっ!
綾子
あ、いえ、余計なこと聞いちゃいました。ごめんなさい。

綾子
(晴花さんがあんなに動揺した姿、はじめてだ…。どうしたのかな。
 何にしても、この話は触れない方がよさそう…)

晴花
で、どんな目的を考えてるの?
綾子
あ、はい…えーと、昨日の「身の丈」の話です。これ読むと重点分析、と言って要するに力のいれどころみたいなものを探れるようなので、ぴったりかなと思いまして。
晴花
ふーん、どれどれ…。「出逢いがない…なんてもう言わせない。身長・年収・やさしさ・イケメン度、あなただけのパラメーターでパレート分析すれば、すてきな彼はきっと身近に!」
晴花
マジで!? ついに私にも?
綾子
あのー、そこはいいです…とりあえず。
晴花
いや、ここまで言われたら期待せずには…
綾子
いや、いい… いい…です。でも晴花さんヨダレ…
晴花
じゅるる。そうなのー? 残念ねっ。
えーと…パレート分析は「80:20の法則」で物事を考えていこうとするときになんかには便利なんじゃない?
綾子
80:20の法則…ですか。それって、何ですか?
晴花
ほんとーに簡単に片づけてしまうと…
たとえば、仕事とかで…自分が理想とするところを100%とすると、まずはその80%をとりにいくという考え方さ。んで、その80%をとるためには、ある要素の重要な20%を探してマークすると効率的ですよ、といわれる話。
晴花
「いわれる」としたのは、それがあくまで経験則だからさ。
綾子
晴花
すこし…抽象的すぎたね。分かりづらかったかな?
晴花
じゃあ、私が…作るの苦手な…オムライスに例えよっか。
晴花
私、オムライスが大好きなんだけどさ…自分で作ると、お店で食べるような…あの、卵のトロットロッ感が出せなくて「卵焼きを乗せたケチャップライス」になっちゃうんだな…これが。
晴花
私は自分でもお店のようなおいしいオムライスが作れるようになりたいのっ! …これが理想だね。
晴花
でも、理想は理想として、お店の80%程度くらいまでおいしくできれば、まぁ…素人の私としては及第点…どころか上出来じゃん?
そこでさ、綾っち。
綾子
はい。
晴花
綾っちが仮にお店の人だとしたら、効率という観点からは、その80%を達成するために何をしたらいいとアドバイスしてくれる?
綾子
あくまで効率、という観点ですよね。もちろんプロの気持ちは分かりませんけど…まぁ、私もお店で食べるようなオムライスはやっぱりあの半熟トロトロ卵が味の決め手だと思いますから…
綾子
やはり、半熟トロトロ卵を死ぬ気で練習するのがいいよ、と。
晴花
だーねー。(「死ぬ気で」以外は)私もそう思う。
晴花
…でもね。その半熟トロトロ卵を作ってる時間って…。
綾子
時間って?
晴花
オムライスを作るための全工程に20分かかるとしたら、半熟トロトロ卵を作る工程は、ほんの3~4分にすぎないじゃない? それってつまり、全体の…
綾子
およそ20%!
晴花
Yes! つまり80%の味を達成するにはわずか20%の時間が肝になる…と言ちゃってもいいのかも。
晴花
こんな感じで、ある要素の20%が物事の80%を決めるというのが80:20の法則の趣旨だね。この法則はいろんなケースで下敷きにできるけど、ビジネス的には、そうだなぁ…
晴花
「ある営業マンの今月の売上100万円は10件の取引先との契約の結果だが、うち80万円は2件の取引先による売上である」って感じね。転じて、効率を考えるとその2件の取引先をとりわけ重要視して行動すべきだと考えることもできるね。
晴花
ただ80%とか20%とかいう数字は、ぶっちゃけて言えばそんなに重要じゃないの。経験則たるゆえんね。
あくまで大切なことは、“モノゴトにはばらつきがあるのが常だから、優先順位を明確にしていくことが効率を考えるうえで重要な要素になるかもですよー” ということの方だから。
綾子
ふんふん! なんとなく分かりました。
晴花
それをふまえた上で、綾っちの目的とも合いそうだから、まずはやってみるとおもしろいかも。
綾子
そうでした…この本のデータを私がつけているポイントに置き換えて、手順どおりやってみたんですが…途中から絶対参照とかIF関数とかいう、わけの分からないものが私の邪魔をするんですょ…。
晴花
それで凍ってたのかぁ…。なるほどね。
晴花
どうせなら今回は…これからデータと格闘してくのに、すっごく役に立つと思う「ピボットテーブル」でやってみちゃおっか?
綾子
ピボットテーブル? あ、それエクセルのリボンのなかにある機能ですよね。ボタンの存在だけは…知ってますけど…。
晴花
そう、それそれ。それで綾っちのつけている先月のポイントをもとに、ピボットテーブルを使ってパレート分析をしてみよう。
綾子
はい。
晴花
じゃ、その準備としてまずは「ABC分析表」と呼ばれるものを作ってみようよ。
綾子
あれれ? ABC分析表…ですか? 私たちがやろうとしてたのって、パレート分析って言うものだったような…。
晴花
だね。でもまぁ、私たちが使う分には同じものと考えていいと思うよ。
と、いうのもウチのような経理の分野で「ABC分析」と呼ぶと、同名の異なる内容の分析手法の方を想起されることが多いから、ここは混同しないようにパレート分析と呼んだほうがいいと思って。
晴花
でも今から作る表そのものは、「パレート分析表」と呼ぶとちょっとニュアンスが違うかなとも思うので…ここではより自然に「ABC分析表」と呼ぶことにするね。

DEMONSTRATION 3:

綾子
はふぅ…さすがに知らないことだらけで疲れましたYO。
綾子
でもこのピボットテーブルって機能、すごいですね。直感的な操作で集計できちゃうなんてちょっとびっくりです。私にとっては仕事の概念自体が変わっちゃいそうな。
晴花
でしょでしょー。おもしろいでしょ?
…さて、綾っちのABC分析表をプリントアウトしてみよっか。
綾子の記録したポイントをもとにつくったABC分析表
晴花
よし…と。じゃぁ綾っち。さっき話してた80:20の法則を思い出して。
この表の構成比累計で80%…いや、同じポイントの人たちの間で上も下もないから、ここでは便宜上78%としとこうか。そこに赤ペンで区切り線を入れてみようよ。
綾子
えーと、ここですね。…サーっと。
晴花
あと、ついでに96%あたりにでも同じように区切り線を入れておいてよ。
綾子
はい。では、キュッキュ…と。こんな感じでいいですか?
綾子の記録したポイントをもとにつくったABC分析表の、累計構成比78%・96%にそれぞれ赤で区切り線を入れる。
晴花
うん。じゃ、あとは私が書き入れちゃうね…。カキカキ…と。
綾子の記録したポイントをもとにつくった区切り線の入れられたABC分析表には3つの領域ができた。これを受け、上から順に「A」「B」「C」と書き入れる。
綾子
A・B・Cの3つにクラス分けをするから…ABC分析表ですか。なるほどストレート。
綾子
えーと…この私がつけたポイントの数って、
綾子
Aクラスの人は10人ですし…
ポイント総数は218ですから、そのおよそ80%は…ほぼ170ですので…
綾子
170ものポイントが10人だけで…ついたということですよね!!
晴花
That's right!
綾子
確かにある程度の偏りがあることは自覚してましたけど、自分では…もっと多くの人とまんべんなくやりとりしてる印象があったし…これ程とは…。
綾子
う~ん、やってみるもんですねー。ある意味、思い込みってこわいなって思います。
晴花
そう思えたことも収穫じゃーん。
さて、熟練した人ならこのABC分析表だけで十分なんだろうけど、私はもうちょっと直感的にデータをながめてみたいな。
綾子
グラフ化するんですよね。いや、この本の受け売りですけど。
晴花
そうそう。「パレート図」と呼ばれるものね。
綾子
グラフにするだけなら…私でも悩むこともないですね!
いよいよ私の時代が(ビシッ)!
晴花
…ところが、1つのグラフ領域に2種類のグラフを示してやらなきゃいけないのさー。「複合グラフ」っていうヤツ。
私たち、ふだんの仕事では使ってないから…なかなかままならないかもよー。
綾子
・・・・
晴花
ぷっ。
綾子
っていうか…晴花さん、わかってて私をイジってませんか?
晴花
へへ。まぁね。
綾子
サイテー。私だって…やるときはやりますよーだ。
晴花
お! すごいな。じゃぁ、これは綾っちが作ってくれるのを席で待ってるとするわ(音符
晴花
でも一カ所だけ、加工しやすいようにデータを直させてね。社員コードを名前に変えて、と。…これでよし。
晴花
じゃ、がんばれー。
綾子
(…勢いで言いました。はい。
  仕方ない…本見てやってみよう…)

DEMONSTRATION 4:

綾子
ふんふーん、晴花さんできましたよー(音符
晴花
どれどれ…。OH! やるね!
綾子の記録したポイントをもとにつくったパレート図
晴花
じゃあ早速…えーと、こっちもさっきのABC分析表と同じようにクラス分けしてごらんよー。
綾子
78%と96%だから…右から線を引いて…折れ線にぶつかったところで下に線を引けば…分けられるかな…カキカキ…と。
綾子の記録したポイントをもとにつくったパレート図に赤の区切り線を入れ、先のABC分析表と同じように「A」「B」「C」を書き入れる。
綾子
やはりグラフだと…線の長さで互いを見た目的に比較できる分、より分かりやすくなりましたね。あらためて偏りが確認できます。
晴花
こうして優先順位を明らかにしたら、セオリー的にはクラスごとに対応を練っていくわけさ。たとえば、Aグループには最も厚いサポート体制をとる、Bグループには中程度の…Cグループには… といった具合に。
綾子
でも…いざ区別するとなると…何だか後ろめたいですね…。確かに効率的な考え方なのはわかりますけど…。
晴花
…そうなんだ。
やさしい綾っちらしいけど、私は…区別することと差別することは同じでないと思うの。
晴花
もちろん、Cクラスの人はサポートしなくていい…ってことじゃないけど。まぁ綾っちに限ってそれはないと思うけど、会社の中ではたらく以上、それは好ましい選択ではないし。
晴花
でもね、これ大事なことだと思うんだけど…これから綾っちがしようとするサポートって、押し売りできるものじゃないじゃん?
晴花
もし、綾っちに対して信頼を寄せていない誰かがいたとしたら…
綾子
(ズキッ!グサッ!)
晴花
ちょっとぉ! ヤだなぁ綾っち! …「仮の話」だってば!
綾子
わ、わかってます…でもそういえば思い当たるフシも…あぁ…打たれ弱いのです…。
晴花
…信頼を寄せてない人がいたとしたら、その人に「データ分析してみました。参考にしてくださいね(ハート」なんていっても、おおかた迷惑にしか思われないさ。
晴花
だからさ、ある程度は信頼してもらってるかなと思えるクラスを重点化するのは、お互いにとって幸せだと思うんだ。
晴花
そういうことで、ふだんの仕事以上のものはCクラスまでにはなかなか提供できないと思うけど、自分の持てるリソース以上のものはそうそう出せるものじゃないから仕方ないよね。マンガの中の、悪者と戦う主人公のように自分の限界を次々と突破していくことは…現実には簡単ではないわ。
晴花
それにCクラスには、この前出した偏差値表を見る限りで突出した人がいないわけでもない。…それは誰かの助けを必要としないスーパーマンかもしれないし、だとしたら、そんなすごい人たちに私たちが提供できる情報なんかは…そうそうあるはずもないし、ね。
綾子
…そもそも「身の丈」でやろうと決めたのは私のはずなのに…あやうく空回りするところでした。今の私には理想をそっくりかたちにできる力は…ないはずなのに…思えば身の程知らずな考えでしたね…。
晴花
そんな! 私だって同じだから。
だからさ、目の前のできることからいっしょにやってみよっ。
綾子
はい!
晴花
(…ったく、綾っちをみてると不思議なことに私にまで前向きな気持ちが伝染するよ。私はそんな気持ちなんてもう無縁だと思ってたんだけどな…)
綾子
よーし、じゃあ決意あらたに…カキカキ。
綾子
いっそのこと、こうします!
パレート図の上位5人に黄色の丸。そこから矢印を引いた先には「安堂」「田中」の文字がアンダーラインを引いて書かれている。
晴花
どういうこと、これ?
綾子
「身の丈」ゆえの選択、第2案です。
晴花
…やばい…ダサすぎる…綾っちのネーミングセンスは…
綾子
…私の場合は、パレート分析の結果を見ると…それでもまだまだターゲットとしては広すぎる、やっぱりそう考えるべきでした。Aランクで 10人ですし、10÷24で…RS部の人たちの 40%が該当しちゃいます。
綾子
ですから…思い切って半分に絞ってみようかなと。そうすると、丸で囲んだこの5人のひとになりますよね。ふだんを思い起こすと、やりとりが多いことを強く実感できる人たちです。
晴花
あ…言わなくても分かるよ。村上さんなんか綾っちをお気に入りだもんねー。娘さんと同い年の綾っちがかわいいらしくて「自分の娘みたい」ってよく言ってるし。だからポイントも増えちゃうってとこ、きっとあるよ。
綾子
いやー、そういうことじゃなくてですね…
綾子
…まぁいいや。だいたい村上さんは、偏差値表のときもそうだったようにコツコツ数字をあげてくる人なので、その意味ではニーズも薄いかなって…。白鳥さんもそうですし、また、宮地さんなんか私が余計なサポートなんてさせてもらったら逆に足引っ張っちゃいそうなくらい順調ですし…。
晴花
それで…か。この2人のひとに絞ったのは…。
綾子
はい。安堂さんも田中さんもいつもよくしてくれてますので、たまには私も力になれたらいいなぁ…なんて思うんです。
綾子
何も知らない自分が生意気なこと言ってるのは分かります。だから、安堂さんや田中さんに負担に思われないよう、陰ながらあっさりとやっていこうと思っています。
綾子
だから晴花さん、私がやってるヘンテコな「綾っち商店」のことは、誰にも口外しないでくださいね。
晴花
えー!そうなの…もったいないなぁ。
社長が知ったら評価してくれるかもよー。
晴花
「寺畠くん! 私のリストラを君が止められるとでもいうのか。よろしい。ならば止めてみたまえ。ゴミのように蹴散らしてやる! わはははは!」
晴花
…てな具合に。
綾子
ぷっ。勘弁してください、お願いしますよー。
晴花
わかったわかった。とりあえずは内緒にしとくよ。

Chapter1 Finished.